親愛なる読者諸君!
オタクパパだ!
あなたはこれまで
美女と野獣
のような不釣り合いなカップルを見て、不思議に思ったことがないだろうか?
「なんで、あんなキモオタが
美女にモテモテなんだよ?
世の中、理不尽すぎるだろ!」
このように、野獣と美女のカップルを見て、理不尽な思いをしたことがあるかもしれない。
というわけで、今回は、私自身の経験をもとに、
美女と野獣カップル
が存在する理由
について考察してみたい。
美女と野獣カップルの謎にせまる
世の中には、どこから見てもキモオタ風なのに、なぜか女性にもてまくったり、友達がやたらに多かったりする人間が存在する。
彼らはオタクであるにもかかわらず、体育会系のリア充並み、いや、それ以上に充実した人生をおくっているため、
オタ充
と呼ばれる。
以前の記事では、実際に私が大学時代に出会ったオタ充の実態を紹介した。
https://otakupapa.net/real-otaju
この記事で紹介したHさんは、現場監督のオッサンのような外見であるにもかかわらず、少女向けアニメや工口ゲーに造詣が深く、しかもオタク趣味にどっぷりはまりすぎて6年も大学を留年したという、典型的なキモオタだった。
だが、Hさんは、このような滅茶苦茶な人間であるにもかかわらず、陰キャの負け犬ではなかった。
むしろその真逆のタイプで、どういう力学が働いているのか、Hさんは友達や知り合いがやたらに多く、しかも美人の女性にもモテモテだった。
オタ充のコミュニケーション能力
ところで、彼らオタ充が超速で友達や彼女をつくる秘密はなんだろうか?
まっさきに思いつくのは、コミュニケーション能力だろう。
だが、ここで勘違いしないでほしいのは、彼らオタ充のコミュニケーション能力は、売れっ子芸能人やテレビの司会者のようなウィットに富んだ会話能力ではない。
実際のところ、彼らオタ充のコミュニケーション能力は、好意的に見積もっても、せいぜい中の下くらいだろう。
なぜなら、彼らオタ充は基本的に、相手に合わせた会話が苦手であり、自分の知っている狭い範囲のアニメやマンガ、ゲームの話しかできないからだ。
そのような偏った自己中心的な人間に、双方向の会話を期待しろというほうが、そもそも無理な話だろう。
それではなぜ、彼らは超速で友達や彼女をつくることができるのだろうか?
オタ充が超速で友達や彼女をつくる秘密
実をいうと、オタ充が超速で友達や彼女をつくる秘密は、むしろ対人関係に対する圧倒的なまでのメンタルの強さにある。
だが、メンタルの強さとコミュニケーション能力との間にいったい何の関係があるのだろうか?
それを理解するためのもっとも適した例として、「アイドルマスター」シリーズのアイドルのリーダー、天海春香(あまみはるか)のコミュニケーション能力があげられる。
天海春香は、他のアイドルと比べても、特に優れた会話能力をもっているわけではない。
彼女は知的でウィットに富んだタイプではなく、どちらかといえば、むしろ天然系の女の子といえるだろう。
だが、彼女には、圧倒的なメンタルの強さがあり、そのメンタルの強さが、彼女の優れたコミュニケーション能力の秘密なのだ。
例えば、彼女の専用曲には、「ステキハピネス」という曲がある。
この曲は、春香自身が
「これが私です」
といって心から歌える歌といわれており、天海春香のキャラの本質を突いた曲といわれている。
この曲の歌詞には、
友達と思って
元気よく挨拶をしたら
人違いでした
てへぺろ☆(・ω<)
というくだりがある。
ここで、普通の人なら、
「あ、すみません
間違えました」
といって、そのまま恥ずかしい思いをして終わるだろう。
だが、天海春香のメンタルの強さは尋常ではない。
驚くべきことに、彼女はなんと、相手を間違えたのにもかかわらず、逆に開き直って、そのまま間違えた相手と強引に会話を続行するのだ!
それだけではない。
彼女は、そのまま勢いにのって、間違えた相手と仲良くなってしまうのだ。
このように、天海春香にとって、圧倒的なメンタルの強さが、超速で友達をつくるコミュニケーション能力の原動力になっているといえるだろう。
【実例】超速で友達をつくったオタ充のリアルな手法
ここで、
「そんなマンガみたいな話、
リアルにあるわけねーだろ!」
と思われる方も多いかもしれない。
だが、このような超絶メンタルの持ち主はたしかに存在する。
その証拠に、私が「アイドルマスター」のライヴで実際に出会った別のオタ充の例をあげよう。
(↓)「アイマス」のライヴでは、実にさまざまなオタク達がいた。
どこのライブでも基本は同じだとは思うが、アイドルマスターのライブも、開演までの待ち行列が異常に長い。
また、ぼっちでライブに参加する人間も多いため、長い待ち時間のあいだ、ひたすらスマホをいじったり、ゲームをプレイしたりする連中もいる。
そんな中、長い長い待ち行列の合間に、たった一人、ぜんぜん知らない周囲の人間にどんどん気軽に話しかけている男がいた。
まったく知らない男からいきなりタメ口で話しかけられたら、
「なんだこいつ?」
と思う人も多いかもしれない。
実際、話しかけられた人の中には、迷惑そうな人やガン無視する人もいたが、その男は、会話を拒絶されても少しもへこたれる様子はなく、どんどんまわりに話しかけていった。
長い行列の待ち時間で退屈だった人も多かったのか、彼の会話に応じる人も何人か出てくるようになった。
そして、気がついたら、驚くべき光景が繰り広げられていた。
その男は、まるで何年も昔からつるんできた友達のように、7〜8人くらいの人間とアイドルマスターの話で盛り上がっていただけでなく、互いにLINEを交換しあう仲にまでなっていたのだ!
まったく知らない場所でまったく知らない人間が多く集まる場所で、あっという間に大勢の友達を作ってしまった男の手法をリアルで見ていた私は、あまりの手際のよさに驚いたものだ。
ちなみに、彼のすぐ近くにいたにもかかわらず、彼からガン無視されて、ぜんぜん話しかけてもらえなかった私が、そのとき、
「なんでオレには
話しかけてくれないんだよ?
友達ゼロのオレにも
話しかけてくれよおおお(泣)」
と絶望したのは内緒だ・・・(震え声)。
おそらく、私につきまとっていた
コミュ障のオーラ
があまりにも強すぎたので、彼自身、私に話しかけるのを思わず躊躇してしまったのかもしれない。
それはともかく、この実例からもわかるように、彼らオタ充の基本戦略はとてもシンプルだ。
失敗をおそれずに
ひたすら数を撃てば当たる
ただこれだけだ!
売れっ子の芸能人や司会者のような高度なコミュニケーション能力は一切不要。
この手法を一言で表せば、
物量こそがすべて!
といえるだろう。
実際これだけで、友達がたくさんでき、女性にもモテるようになる。
「嘘だろ?
そんなうまいこと
いくわけねーよ!」
そう思うかもしれない。
だが、統計的に考えれば、これは決して不思議なことでも何でもなく、むしろ当然のことなのだ。
それについて、詳しく説明しよう。
人間の好みには必ずバラツキがある
ところで、なぜキモオタと超絶可愛い女の子のような美女と野獣カップルが生まれるのだろうか?
昔からあることわざに
「蓼(たで)食う虫も好き好き」
という言葉がある。
「蓼」は、特有の香りと辛味を持った植物で、香辛料として薬味や刺身のつまなどに用いられ、茎や葉に苦味がある。
このように、辛くて苦いにもかかわらず、それをわざわざ好んで食べる偏った嗜好の虫もいることから、このことわざは
「人の好みもさまざまだ」
のたとえとして用いられる。
そして、この「蓼食う虫も好き好き」という言葉を数学的に明らかにした男がいる。
ベルギーの統計学者、社会学者のアドルフ・ケトレーだ。
ベルギーの数学者、天文学者、統計学者、社会学者にして近代統計学の父、アドルフ・ケトレー(1796-1874)。
ケトレーは、社会学に統計学的方法を導入し、
近代統計学の父
として知られ、犯罪率や結婚率など人間の社会生活のあらゆる側面について系統的な集団観察を行った。
彼は、1835年に出版した著書「人間とその能力の発展について‐社会物理学の試み」(Sur l’homme et le développement de se facultés, ou Essai de physique sociale)において、社会で正規分布の中心に位置し、平均的測定値を示す「平均人」(l’homme moyen)の概念を提唱した。
ケトレーによると、人間の集団は、平均的な特性を備えた「平均人」がもっとも人数が多く、極端な特性を備えた人間ほど数が少なくなっていくという。
このケトレーの考えを図解すると、下の図のようになる。
(↓)人間の集団において、常識(平均)的な価値観をもった人間(平均人)がもっとも人数が多く、極端な価値観をもった人間ほど人数が少なくなる。下のグラフは、とある店のレビューの評価の分布を示したものだ。平均点の人数が187人でもっとも多く、高評価・低評価のいずれにしても、平均から外れるほど人数が少なくなっていくことがわかる。
このように、人間の好みにはバラツキがあり、平均的な好みをもった人間がもっとも多く、極端な好みをもった人間ほど少なくなる傾向がある。
これが近代統計学の父ケトレーの発見だった。
一般に、人間の好みの分布は、平均点付近をピークとした山型のなだらかな分布を描くことが知られている。
この山型のなだらかな分布を描く曲線は、統計学的には、正規分布曲線と呼ばれる。
キモオタでも美女をゲットできる最強の戦略
実は、オタ充は、この統計学の基本原理をフル活用している。
ここで、上の正規分布曲線を女性の集団に当てはめて考えてみよう。
この場合、次のことがわかる。
1.平均的な好みをもった女性の人数がもっとも多い
2.偏った好みをもつ女性は、平均的な好みをもった女性よりも人数が少ない
3.好みが平均から外れるほど、女性の人数がどんどん少なくなるが、ゼロではない
ここで、「平均的な好みをもった女性」とは、
「キモオタなんて論外!
それなりに見た目がよくて
経済力のある男がいい!」
という女性だ。
こういう女性が大多数を占めているため、普通の男が女性の集団にアプローチした場合、大抵「イケメン」や「経済力」を要求される可能性がもっとも高い。
キモオタがこれら大多数の女性にアプローチした場合、どのような結果になるか、火を見るより明らかだろう。
一方、正規分布曲線の平均から外れた裾のほうには、
「少女向けアニメが
好きなキモオタでも
全然オーケー」
という偏った好みをもった女性も存在する。
ここで、重要な点は、このような極端な価値観をもった人間は決してゼロではない点だ。
なぜなら、正規分布曲線は、平均から外れるほど、その分布はゼロに限りなく近づいていくが、決してゼロにはならないからだ。
実際、「食べログ」や「Amazon」などのレビューの分布を見ても、平均点のみ人数が集中することはなく、平均点から大きく外れた極端な評価をつける人間が必ず存在することがわかる。
要するに、蓼食う虫が存在するように、キモオタ好きの女性も必ず存在するのだ!
もちろん、正規分布曲線が示すように、イケメンよりもキモオタの男性を好む女性は、数としては圧倒的に少ない。
それゆえ、数十人の女性にキモオタがアプローチした場合、平均的な好みをもった女性に出会って拒絶される可能性のほうが高い。
だが、オタ充の圧倒的なまでの対人メンタルの強さが、この希少性の問題を十分にカバーする。
オタ充の恋愛シミュレーション
それでは、オタ充の戦略について、簡単なシミュレーションをおこなってみる。
経験上、好みが変わった人間は、クラスに1人いるかどうかというのが実感だろう。
確率的にいえば、100人に1人くらいの割合(1%)だ。
そこで、女性の集団のうち、キモオタ好きの女性の比率が全体の1%であるとしよう。
この場合、数十人の女性にアプローチしたところで、このような偏った好みの女性に出会う可能性は絶望的なまでに低いことは明らかだ。
だがここで、100人の女性に片っ端からアプローチしたらどうだろうか?
100人のうち1人くらいは、偏った好みをもった女性に出会えるだろう。
ただ、この1人の女性が美人であるとは限らない。
むしろ、ジャイ子のようなタイプの女性の可能性だってあるだろう。
100人の女性にアプローチして、唯一受け入れてくれた女性がジャイ子なら、その絶望感は半端なものではない。
普通の人間なら、この時点で絶望してあきらめてしまう。
だが、オタ充のメンタルが凄いのは、100人程度ではあきらめない点だ。
彼らは考える。
「100人程度じゃ
やっぱりダメか・・・
それなら
もっと数を増やして
1000人の女性に
アプローチしたら
いいんじゃね?」
そして、そのとおりに彼らは1000人の女性にアプローチするのだ!
その結果、990人の女性からは同じように門前払いされるかもしれないが、1%すなわち10人の女性は、キモオタに好意的な印象をもつはずだ。
3000人なら、30人もの女性がキモオタに好意をもつ。
「クラス1の美人」という言葉もあるように、30人もいれば、上位10人くらいは平均よりも可愛い女の子である可能性が高く、トップの1人は美人である可能性だって期待できるだろう。
要するに、これが彼らオタ充の基本戦略なのだ。
彼らオタ充の戦略を一言で表せば、
物量こそがすべて
まさしくこの一言に集約されるだろう。
彼らオタ充は、これぞと思った人間に片っ端から話しかけてアプローチし、相手から拒絶されたとしても決してめげることなく、ひたすら量をこなしていく。
実際、私が大学時代に出会ったHさんが、まさしくこのようなタイプの人間だった。
彼の対人メンタルの強さは半端ではなく、相手の都合など完全無視で、初対面の相手であっても、片っ端から声をかけていたのだ。
そのバイタリティたるや、
まさしく野獣のごとし
といったところだ。
「目についた初対面の相手に
片っ端からアプローチするなんて
相手に迷惑だろ!」
常識人ならこのように言うかもしれないが、その点なら問題ない。
なぜなら、彼らオタ充のターゲットは、平均的な好みをもったボリュームゾーンの女性ではないからだ。
そもそもターゲットですらない彼女たち「平均人」に嫌われたところで、想定の範囲内であり、全然ノープロブレムなのだ。
大体、相手の気持ちとか、そんなしち面倒くさいことを考えているような豆腐メンタルなら、そもそも1000人単位の女性にアプローチをかけたりはしないだろう。
そういう意味で、オタ充タイプの人間には、案外サイコパスが多いのかもしれない。
欧米のオタ充・ギークの起業家に成功者が多い理由
Steve Jobs and Bill Gates on Flickr –
実をいうと、オタ充のメンタル能力は恋愛だけでなく、ビジネスにおいても、最強のパワーを発揮する。
なぜなら、彼らオタ充は、失敗を恐れず、どんどん新しいことに積極的にアプローチするからだ。
アップルの創設者であるスティーブ・ジョブズなどはギークであり、まさしく典型的なオタ充起業家といえるだろう。
彼らは数多くの失敗をしても、決してそれらの失敗にめげることなく、わずかな成功から勝利を勝ち取ってきたのだ。
そういう意味で、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツなど、世界の名だたる起業家には、オタク(ギーク)の人間が多いのも納得できるだろう。
【最後に】世の中の理不尽を解消する唯一の方法
以上のように、美女と野獣カップルが成立するのは、決して理不尽でもなんでもないことは、ご理解いただけただろうか?
彼らオタ充たちは、
チャンスをつかむために
普通の人の1000倍
行動しているだけ
なのだ!
そして、990回失敗しても、決してめげることなく、10回の成功を勝ち取っているのだ。
だが、彼らの990回もの絶望を知らないあなたは、彼らオタ充が美女とカップルになり、起業家として華々しく成功するのを見て、こう思うのだ。
「あんなキモオタが
10回も幸運に恵まれるなんて
世の中、理不尽だ!
きっとアイツら悪いことを
したのに違いない!
きっとそうだ!
それに比べて
オレはなんて不幸なんだ!
世の中、不公平なんだよ!」
このように絶望するあなたに、とある漫画家の話を紹介しよう。
彼が漫画家を目指すきっかけになったのは、高校を卒業して3年間勤務していた広告代理店を退社し、家でゴロゴロしていたのを親にとがめられたからだという。
なぜ、彼が会社を辞めたのかというと、ほとんど毎日遅刻してやる気を喪失したからだ。
だが、働きにも行かず、ニートのまま家でゴロゴロしていると、親に叱られる。
そこで彼は、仕方なしに漫画家を目指すことにした。
その理由は単純明快。
「漫画家だったら、
会社に行かなくてもいいし
家にいられるんじゃね?」
こんな、のび太のようなどうしようもない動機から漫画家を目指した彼だったが、世の中そんなに甘くなかった。
なぜなら、その後の彼は、原稿を描いてはボツになる日々を送っていたからだ。
実際、彼が編集部へ送ったボツ原稿の総数は1年間で500ページにも及んでいたという。
普通の人間なら、1年かけて描いた500ページもの原稿をすべてボツにされれば、やる気を失って、漫画家になるのを諦めたことだろう。
だが、ボツ原稿の山を見ても、彼は決して諦めなかった。
そして、ようやくデビューを果たしたとき、彼は日本でもっとも有名な漫画家になっていた。
彼の名前は
鳥山明
「ドラゴンボール」の連載や「ドラゴンクエスト」シリーズのキャラクターデザインで有名になり、日本人では彼の名を知らない者はいないほどの天才漫画家だ。
このように、現在、天才漫画家の鳥山明でさえも、華々しいデビューをかざる前は、500ページもの原稿をことごとくボツにされた黒歴史があるのだ。
その苦労のほどは、並大抵なものではないだろう。
だが、鳥山明は、世の中の不公平を決して嘆くことなく、何百ページもの原稿を描いては「週刊少年ジャンプ」編集部にひたすら送っていたのだ。
このように、何百回、何千回も挫折を繰り返し、絶望しているにもかかわらず、何度も何度も行動しつづけている人間がいる。
それゆえ、彼らが人生で華々しい成功をつかんだとしても、それは決して理不尽でもなんでもない。
統計学的に考えれば、何千回も行動している彼らが成功するのは、むしろ必然なのだ。
というわけで、まったく行動もせず、SNSで世の中の理不尽を嘆くだけの、あなたにひと言いいたい。
不公平を嘆く
ヒマがあったら
今すぐ行動しろ!
オタクパパより愛を込めて!
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