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なぜこの世に悪が存在するのか?小学生も一発!で納得する説明

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親愛なる読者諸君!

オタクパパだ!

 

今回は、

小学生も一発!

納得シリーズ

だ。

 

このシリーズでは、

見た目はオッサン

精神年齢は小学生

のオタクパパが、小学生でも理解できるように、さまざまな小難しい哲学上の問題について分かりやすく解説する。

(↓)見た目はオッサン、精神年齢は小学生。それがオタクパパだ!

なお、リアルな小学生にかぎらず、私のような

精神年齢が

小学生レベル

の大人の諸君も、もちろん本シリーズの対象なので、小学生でない読者も安心して読み進めてほしい!

 

なお、

「小学生向けのシリーズにしては

 使っている漢字や用語が

 難しくねーか?」

というツッコミをときどきいただくが、本シリーズは、普段から哲学的な問題に興味をもつ

意識高い系の小学生

に向けて書いているので、ごく普通の小学生にとっては、少し難しい漢字や用語が多いかもしれない。

 

それゆえ、普通の小学生が本シリーズを読んだら、中二病をわずらってしまう可能性があるので、その点、ご容赦ねがいたい。

 

ところで、マンガやアニメをみているとき、あるいはゲームをプレイしているとき、次のような疑問が浮かんできたことはないだろうか?

1.なぜ、この世に悪が存在するのか?

2.なぜ、必ず最後に正義が勝つのか?

 (必ず最後に、悪が滅びるのか?)

3.なぜ、この世から悪がなくならないのか?

 (毎回のように正義に滅ぼされているのに、なぜ悪が絶えないのか?)

これら善悪の問題は、昔からさまざまな宗教家や哲学者が取り上げてきた難題だ。

 

だが、この問題を解決せずして、マンガやアニメ、ゲームなどのオタク趣味を深いレベルまで考察することは不可能といってもいいだろう。

 

というわけで、本記事では、歴史的な考察をふまえつつ、上の疑問に対する答えを小学生でも一発で納得できるように説明する。

【疑問1】なぜ、この世に悪が存在するのか?

「なぜ、この世に悪が存在するのか?」

この疑問は、われわれ人類にとって永遠のテーマともいえる問題だ。

 

だが、ここでは、偉そうなカリスマ教祖がしたり顔で説教したり、立派な道徳の先生が上から目線で解説したりするような、ありきたりで使い古された道徳的な説明をするつもりはない。

 

そういった人間の道徳観念に訴える従来の曖昧でぼんやりした説明ではなく、小学生でも一発で納得できるように、論理的に1つ1つ順を追って説明するつもりだ。

【前提】人間社会は常に進化しつづけている

はじめに、大前提として、

人間社会は、常に進化しつづけている

という点に着目してほしい。

 

これは、例えば、

原始時代よりも平安時代

平安時代よりも江戸時代

江戸時代よりも明治時代

明治時代よりも昭和時代

昭和時代よりも平成時代のほうが

科学技術や学問が進歩している

ことからも明らかだろう。

 

ところで、科学技術や学問が発達すると、どうなるのか?

 

当然、

その社会に生きる人間がより高くて広い視点を獲得する

ようになる。

 

例えば、平安時代の人間と現代の人間を比べてみよう。

 

現代の人間がもっていて、平安時代の人間がもっていないのは何だろうか?

 

例えば、スマホやパソコン、テレビなどのハイテク機器があげられるだろう。

 

それゆえ、現代の人間は、これらのハイテク機器を使いこなすことで、世界中のさまざまな情報や知識をほとんど瞬時にゲットすることが可能だ。

 

これから

平安時代の人間と比べたら、

現代の人間はより高くて広い視点を持っている

といえるだろう。

 

いいかえれば、

科学技術や学問の発達により

それまで見えなかったものが

はっきりと見えるようになる

のだ。

 

次に、この前提をふまえた上で、悪が生まれるメカニズムについて考察してみたい。

【事例1】LGBTをめぐる日本社会の価値観の変化

最近、衆議院議員の杉田水脈氏が

「LGBTは『生産性』がない」

という発言をして炎上したことは記憶に新しい。

Togetter
杉田水脈 #LGBT 「生産性」炎上騒動(全文リンクあり) 杉田水脈議員の炎上の元になった記事を全文転載してる方がいたので、それをツイートしたところ反応が多かったのでまとめました。

ここで、「LGBT」とは、以下の人々の頭文字をとったものだ。

女性同士で愛する人たち(レズビアン)

男性同士で愛する人たち(ゲイ)

男性と女性の両方を愛する人たち(バイセクシャル)

男性(女性)に生まれたけど、本当は女性(男性)に生まれたかった人たち(トランスジェンダー)

大手広告会社の電通が、2015年に20〜59歳の男女7万人を対象に行った調査によると、LGBTに該当する人の割合は7.6%だったそうだ。

 

すなわち、

13人に1人の割合で

LGBTが存在する

といえるだろう。

 

このように、昨今、LGBTに対する差別が問題になっているが、実は、昭和時代のテレビ番組は、むしろLGBTに対する差別的な表現で満ちあふれていたことをご存じだろうか?

 

当時のバラエティ番組では、「とんねるず」などの芸能人がLGBTを小馬鹿にするようなネタを披露し、お茶の間の人々は、それを当たり前のように受け入れて笑っていた空気があった。

 

いうなれば、昭和の時代においては、LGBTをネタにする芸能人は、はっきり「悪」とは認識されていなかったといえるだろう。

 

仮に、とんねるずがお茶の間の人々から「悪」として認識されていたのなら、

「LGBTを差別する悪い奴ら」

として視聴者から激しく叩かれ、とてもTV番組などには出られなかったはずだ。

 

だが、実際のとんねるずは、LGBTネタを披露しても、はっきりと「悪」と認識されることはなく、平成の時代に至るまでレギュラー番組を持っていたのだ。

 

そこで、この昭和の時代の価値観を

昭和の価値観1.0

と呼ぶことにしよう。

 

昭和の価値観1.0は、戦前から続くガラパゴス的な日本の価値観であり、昭和の家庭のスタンダードともいえる価値観だった。

 

ところが、平成の時代に入ると、もっぱら欧米のニュースを通じて、それまで知られなかったいろいろなものが見えるようになった。

 

特に、インターネットなどの媒体を通じて、LGBTの人たちの主張が、はっきり見えるようになったことが大きいだろう。

 

その結果、

「LGBTの人たちって、そんなに差別されて苦しんでいたのか・・・」

と共感する人々が欧米社会を中心に現れるようになった。

 

それだけではなく、少数派に対する差別的な考え方を許容しない新しい価値観を共有する人たちが、世界中で激増するようになった。

 

要するに、

国際的な報道や

インターネットの普及により

それまで見えなかったものが

はっきりと見えるようになった

のだ。

 

そこで、この新しい価値観を

平成の価値観2.0

と呼ぶことにしよう。

 

いってみれば、

日本社会の価値観が

昭和の価値観1.0から

平成の価値観2.0に

アップデートした

のだ。

 

そして、平成の価値観2.0が日本全国に広がるにつれ、

日本社会全体のLGBTに対する考え方が180°転換する

ことになる。

 

だが、その一方で

昔ながらの

昭和の価値観1.0をもったまま

一向にアップデートできない

人たちもいた

それが、とんねるずなどの昭和時代にブレイクした芸能人や、杉田水脈のような昭和世代の議員なのだ。

 

以上の流れを簡単に図解すると、次のようになる。

昭和の価値観1.0

  ↓ 価値観のアップデート

平成の価値観2.0

ただし、とんねるずや杉田水脈のような一部の人間は、昭和の価値観1.0のまま

ここで注意してほしいのは、大部分の日本人が同じ価値観1.0を共有していた昭和の時代には、とんねるずは「悪」として認識されていなかったという事実だ。

 

とんねるずが、LGBTのネタを披露して、はっきりと「悪」として認識されるようになったのは、平成の日本社会に、価値観2.0が広まったことが大きい

 

いうなれば、日本社会の価値観が2.0にアップデートしたことにより、それまでの古い昭和の価値観1.0を持った人間なり組織なりが、はっきり「悪」として認識されるようになったのだ。

 

このように、人間の価値観は、一定普遍ではなく、時代の流れとともに、常に新しい価値観に進化(アップデート)している

 

これを図解で示すと、次のようになるだろう。

価値観1.0(昭和の常識)

  ↓ アップデート

価値観2.0(平成の常識)

  ↓ アップデート

価値観3.0(次の時代の常識)

  ↓ アップデート(以下、同様)

悪が生まれるプロセス

以上の考察をまとめると、悪が生まれるプロセスは、次の3段階のプロセスを経ることが分かる。

1.もともとの社会に、悪は存在していなかった。

 すなわち、みんな共通の価値観1.0をもっていた

2.科学技術や学問が進歩した結果、社会がより高くて広い視点を獲得した。

 すなわち、社会の価値観が1.0から2.0へとアップデートした

3.社会全体の価値観が2.0へとアップデートした結果、古い価値観1.0をもった人間や組織が「悪」として、はっきり認識されるようになった

このように、社会の価値観は、時代の流れとともに常にアップデートしており、新しい価値観にアップデートできない古い人間や組織が「悪」としてはっきり認識されるようになったのだ。

 

以上が、悪が生まれるメカニズムだ。

 

だが、これだけでは、いまいち納得できない人も多いかもしれない。

 

そこで、歴史的な事実に基づき、いくつか具体例をあげて説明しよう。

【事例2】人類の歴史は弱肉強食のジャイアニズムから始まった

はじめに、原始的な社会を想定してほしい。

 

原始的な社会においては、もちろん現代社会のような高度な科学や学問も発達しておらず、法律などのルールもない。

 

しかしながら、腕っぷしの強さや体格の大きさなどの格差は存在する。

 

ジャイアンのように生まれつき体格がすぐれ、腕っぷしの強い人間もいれば、のび太のように生まれつき体格が貧弱で、ひ弱な人間もいる。

 

このような科学も学問も発達していない原始社会では、勉強ができなくても偉くなれるため、必然的にジャイアンのような力の強い人間が有利になる

 

すなわち、動物園で体格の大きなボス猿が、小さくて弱い小猿から食べ物を奪いまくって好き放題に生きるのと同じことが起こるのだ。

それゆえ、我々の人間の歴史は、もともとは、

弱肉強食のジャイアニズム

から始まった

といえるだろう。

 

だが、ここで、注意してほしい点は、この原始社会において、

弱肉強食は必ずしも

悪ではなかった

という点だ。

 

なぜなら、原始社会において、自然界はいわば、神の意思の表れであり、強い者と弱い者の違いが存在するのも、すべて神の意思の結果だと考えられるからだ。

 

実際、のび太が、ジャイアンから食料を取り上げられて

のび太

「ずるいよ! 

 ジャイアン!

 

 ちょっと力が強いからって

 ボクから食べ物を奪う権利

 なんてないじゃないか!」

と、泣きながら訴えたとしても、

ジャイアン

「そもそも力の弱い

 お前が悪いんだろ!

 

 悔しかったら

 努力してオレみたいに

 強くなれよ!

 

 弱虫のび太w」

と、笑われるのがオチだ。

 

そして、このような弱肉強食のジャイアニズムの価値観1.0が支配する原始社会では、

力こそが正義であり

弱いということは

それ自体生きるに値しない

恥ずかしいことだった

 

だからこそ、のび太は友達に同情されるどころか、逆に

スネ夫

「は? なにいってんの?

 『弱肉強食が悪』だって?

 

 『強さが正義』だって

 この前、えらい王様が

 いってたでしょ?

 

 弱すぎて、頭が

 おかしくなった

 んじゃないのw」

しずか

「のび太さん

 見そこなったわ!

 

 原始社会の常識

 否定するなんて!

 

 わたし、本当は

 強い人が好きなの!」

ドラえもん

「いいかいのび太くん

 弱肉強食はね

 神様が決めた

 絶対的なルールなんだ!

 

 なのにキミはいつも

 強くなる努力もせずに

 『格差社会が悪い』とか

 へ理屈ばっかりいって

 

 はっきり言うとね!

 キミのその弱さが

 すべての元凶なんだよ!」

と周囲からも説教され、のび太自身も

のび太

「そっか・・・

 やっぱりボクが

 弱いからいけないんだ

 

 よし、ドラえもん!

 

 ボクもいつか強くなって

 ジャイアンみたいに

 弱い人から食べ物を

 たくさん奪ってくるからね!」

と、納得して終わるだけなのだ。

 

ここで、

「そんなひどい時代が

 あったなんて!」

と思われる方もいるかもしれない。

 

だが、よく考えてみてほしい。

 

オリンピックなどのスポーツにおいて、肉体的に一番優れ、努力を惜しまない選手が1番になった結果、日本中からあらゆる称賛を受けたからといって、非難される筋合いはないだろう。

 

それと同じ理屈で、原始社会において、王や貴族になった人間(ジャイアン)は、肉体的に優れた者達であり、なおかつ戦争に勝つために、絶えまない努力をしてきたのだ。

 

いわば、ジャイアンは、

神が定めた唯一絶対の

弱肉強食のルールにおいて

戦争という「正当な競争」

によって選ばれた者

なのだ。

 

それゆえ、ジャイアンが1番になって原始社会の富を獲得するのは、むしろ当然の権利といえるだろう。

 

なぜなら、あらゆる努力をして、世界の頂点に立った金メダリストのスポーツ選手が、富や名誉を独占するのとまったく同じ理屈が成り立つからだ。

 

ジャイアンの理屈を要約すると、次のようになる。

ジャイアン

「なぜ、戦争に勝つための努力をしなかった怠け者の弱虫のび太が、戦争に勝つための努力をしてきたオレさまと同じ富や名誉を受け取るんだよ?

 

 それこそ理不尽だろ!

 ふざけんな!」

実際、オリンピックにおいて、のび太のような5流選手が金メダリストを批判して、

のび太選手

「金メダリストばっかり

 コマーシャルに出て

 お金たくさんもらって

 不公平だよ!

 

 ボクにも少しくらい

 お金を分けてよ!」

と訴えたところで、

「おまえが弱いから

 悪いんだよ!」

と、みんなから総ツッコミを受けて終わりだ。

 

このように、

強くて優れた人間が

一番に報われるべき

という原則が守られなければ、かえって不公平というものだろう。

 

そして、これこそが、まさしく

弱肉強食の価値観1.0

であり、この弱肉強食の価値観1.0のもとでは、

強い者が弱い者に

勝つことは悪ではなく

むしろ正義だった

のだ!

 

だが、時代とともに、この弱肉強食の価値観1.0がゆらぐことになる。

 

なぜなら、科学が発達するにつれ、それまで見えなかったさまざまなものが見えるようになったからだ。

 

ある日、庶民たちは気づく。

庶民A

「あれ? 

 ひょっとして、

 

 神様って

 人間が作った妄想

 じゃねーの?」

思い出してほしい。

 

生まれつきの不平等は、神が定めた自然界のルールの特徴だった。

 

それゆえ、生まれながらにして肉体能力に優れ、弱肉強食の頂点に立った王様は、まさしく

神に選ばれたエリート

だった。

 

だからこそ、弱肉強食の競争に負けた一般庶民たちは、王様から富や食料を奪われ、理不尽な思いをしても、じっと我慢し続けることができたのだ。

 

だが、科学の発達により、神の存在が危うくなると、それまで弱肉強食社会を支えていた根拠(王権神授説。王様の特権は、神様からさずかったものという考え)はもろくも崩れ去ることになる。

 

また、庶民たちは気づく。

庶民B

「あれ?

 俺たちの王様って、実は

 戦争以外にまったく

 才能がないんじゃね?」

なぜ、王様や貴族が偉いのか?

 

よくよく考えてみると、これは不思議な話だ。

 

なぜなら、王様や貴族はそもそも、真っ当な労働もろくにせず、暇さえあれば、戦争ばかりして、弱肉強食社会の頂点に上り詰めたような連中だ。

いわば、彼ら王様や貴族は、戦争遺伝子が優れた人間にすぎず、いいかえれば

単なる戦争バカ

なのだ!

 

だが、科学技術や学問が高度に発達した近代社会では、原始社会からつちかってきた戦争の才能は、もはや無用の長物だ

 

実際、どんなに筋骨たくましく勇猛果敢な戦士であっても、ゴルゴ13のライフルが放つ銃弾の前では、まったくの無力ではないか!

 

このように、原始社会の戦争スキルは、科学技術の前ではまったくの無力なのだ。

 

また、経済が高度に発達した社会において、原始社会で身につけた戦争の才能は、何の役にも立たない。

 

実際、マイクロソフトのビル・ゲイツや、アップルのスティーブ・ジョブズ、Amazonのジェフ・ベゾスのような、現代の超大金持ちを見ても、

ジャイアンタイプの

筋肉バカが一人もいない

ことからも明らかだろう。

 

また、原始社会で名をあげた王様や貴族のような戦争バカが、国家を運営したところで、ロクなことにはならない。

 

実際、戦争ばかりして度重なる戦費の負担に破綻しまくった国家の状況に、庶民たちの不満がピークに達したのはいうまでもない。

 

そんな中、ロックやルソー、モンテスキューなど、従来の弱肉強食の価値観1.0に代わる新しい価値観を唱える者があらわれるようになる。

 

そう!

近代社会の到来とともに、

自由と平等の

価値観2.0への

アップデートが行われた

のだ!

 

その結果、自由と平等の価値観2.0に反する王様や貴族からなる階級社会は、はっきり「悪」と認定され、フランス革命や名誉革命、ロシア革命などの革命で倒されるようになった

 

逆に考えれば、

自由と平等の価値観2.0

生まれなければ

弱肉強食の価値観1.0は

悪とは認識されなかった

ともいえるだろう。

 

実際、日本においても、戦国時代で正当な競争をして勝ち残った殿様や大名は尊敬の対象であり、当時の日本人はみな、弱肉強食の結果である身分社会を当たり前のように受け入れていたのだ。

 

だが、欧米の価値観2.0が日本に流入した結果、日本の身分社会が「悪」として否定され、明治維新につながったのは、歴史が示す通りだ。

 

このように、悪は最初から存在していたのではなく、社会の価値観がアップデートした結果、それまで常識とされていた古い価値観が「悪」として認識されるようになっただけなのだ。

 

そして、これこそがまさしく、

悪が生まれるメカニズム

といえるだろう。

【事例3】奴隷解放宣言による価値観のアップデート

価値観のアップデートにより、それまで正しいとされていた古い価値観が「悪」として認識されるようになった事例は、歴史上、他にもたくさんある。

 

例えば、

奴隷解放宣言

による価値観の変化もそうだ。

 

奴隷(どれい)とは、人間扱いされず、さながらロボットのように、どんなに嫌な仕事でも、主人の命令どおりに使われる人間のことだ。

弱肉強食の価値観1.0が当たり前だった原始社会においては、戦争に負けた国の人間は、奴隷として、戦争に勝った国の王様や貴族、金持ちなどに一生こき使われる運命にあった。

 

一方、王様や貴族にとって、奴隷を多く所有する者は、それだけ富を多く持つ立派な家柄の者と考えられていた。

 

すなわち、原始社会においては、

数多くの奴隷を所有する

ことがステータスの証

だったのだ。

 

いまの価値観からは、到底信じられないかもしれないが、当時は、逆に奴隷が少ないと、

「ねえ奥さん! あの家は

 奴隷が少ないんだって。

 貧しい家柄なのねw」

と馬鹿にされることもあったのだ。

 

だが、この奴隷制を認める原始社会の価値観1.0は、やがて奴隷制を否定する新しい価値観2.0にとって変わられるようになる

 

南北戦争の時代にアメリカのリンカーン大統領が奴隷解放宣言を行ったのだ。

第16代アメリカ大統領にして、奴隷解放の父であるエイブラハム・リンカーン。奴隷制を認める原始社会の価値観1.0を否定し、奴隷制を否定する新しい価値観2.0を広めた。

そして、南北戦争においてリンカーンが率いる北軍が勝利した結果、

奴隷を所有する者は、はっきり「悪」として認識されるようになった

のだ。

 

この事例なども、それまで悪とされていなかったものが、その後の価値観のアップデートによって、悪と認識されるようになった好例といえるだろう。

【事例4】日本の終戦時の価値観のアップデート

また、似たような事例は、70年ほど前の日本にもあった。

 

かつて、戦前の日本において、モテる男というのは、

軍刀で外国人をバッタバッタと

なぎ倒すような男

とされていた。

 

いまの価値観ではとうてい信じられないかもしれないが、当時の日本では、

「100人の外国人を軍刀で切り倒した」

と主張する日本の軍人が勇敢であると賞賛されて、さながら現代のジャニーズ並みに当時の日本人女性からモテモテだったのだ。

 

いうなれば、戦前の日本では、戦争で外国に勝つことがすべてであり、

軍国主義の価値観1.0

が広まっていたといえるだろう。

 

一方、戦争で人を傷つけることを嫌がり、戦争に行くのを拒否した平和主義の日本人は、軍国主義の価値観1.0の基準からすれば、臆病者で卑怯な人間であり、当時の日本人から

臆病者

非国民

などといった不名誉なレッテルを貼られたのだ。

 

実は、このような軍国主義的な価値観は、日本だけの問題でなく、全世界に広まっていた。

 

例えば、名作映画「西部戦線異状なし」において、主人公の青年が過酷な前線から帰ってきたとき、母校で生徒たちに戦場の悲惨な実態を告白するシーンがある。

 

だが、青年は、軍国主義思想にかぶれた生徒たちから、

「臆病者」

と呼ばれ、非難される。

 

このように、戦前の世界においては、

「戦場でできるだけ多くの

 外国人を倒すことが正義」

とされていたのだ。

 

だが、大日本帝国の敗戦により、この軍国主義的な価値観1.0は、新たな

平和の価値観2.0

に取って代わられるようになる。

 

戦後、連合国によって行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)において、

平和に対する罪

人道に対する罪

が掲げられ、日本の政治家・軍人たちが有罪判決を受けたのだ。

 

その影響は絶大であり、平和の価値観2.0は、瞬く間に日本中に広まった。

 

軍国主義の価値観1.0において、正義の英雄とされていた人たちが「悪」と認定されるようになったのだ。

 

そのため、当時日本の知識人たちはパニックに陥り、われさきにと軍国主義の価値観1.0をかなぐり捨てて、新しい平和の価値観2.0に衣替えしようとした。

 

敗戦時、私の伯父はまだ小学生であり、敗戦時の状況を私によく語ってくれたものだ。

 

伯父によると、戦前の学校の先生はいつも、

先生

「日本の兵隊は立派だ! 

 えらい!

 

 日本は神国だから

 外国を蹴散らして

 必ずや戦争に勝つだろう!」

と、いつも自慢げにいっていたそうだ。

 

だが、大日本帝国が戦争に負けて、新しい平和の価値観2.0が広まったとたん、この先生は、

先生

「やっぱり、戦争はいかん!

 

 オレは昔から

 平和が一番だと思っていた!」

と、それまでとは真逆のことをいって、当時の子供達を大いに失望させたそうだ。

 

この言葉をきいたとたん、伯父は

「ふざけんな!

 つい先日まで、戦争戦争って

 あおってたのは誰なんだよ!

 

 オマエラ教師たちが扇動して

 純粋な若者を戦争に駆り立てて

 さんざん苦しめたんだろーが!

と、先生のあまりの身の変わりように、心の底から腹を立てたそうだ。

 

このような経験があったためか、教師に対する伯父の不信感は根強く、

「教師は信用できない!

 アイツらはウソつきだ!」

と、口癖のように言っていたものだ。

 

この例なども、それまで正義とされていたものが、その後の価値観のアップデートにより、はっきり「悪」として認識されるようになった好例といえるだろう。

【疑問2】最後に必ず悪が滅び、正義が勝つ理由

以上の事例から、

悪は価値観のアップデート

によって生まれる

ことが明らかになったと思う。

 

これから、最後に悪が滅び、正義が勝つ理由も説明できる。

 

なぜなら、社会全体の価値観がアップデートすれば、古い価値観(悪)はかならず消えゆく運命にあるからだ。

アップデート後の

新しい価値観が

「正義」

アップデート前の

古い価値観が

「悪」

という定義に従えば、最後に悪が滅びて、正義が勝つのは、むしろ当然といえるのだ。

 

それはちょうど、アップデートによってWindows10が普及することにより、Windows8や7がやがて時代遅れになって廃れていくのと、まったく同じ理屈といえるだろう。

 

また、

なぜ悪はいつも最初にはびこり

後から正義が登場するのか?

という問題も、上の定義から説明することができる。

【疑問3】なぜ、この世から悪がなくならないのか?

また、

毎回のように正義に滅ぼされているのに、なぜ悪が絶えないのか?

という疑問についても、上の定義によって明確に説明できる。

 

なぜなら、社会の価値観が、1.0から2.0、2.0から3.0へと、絶えずアップデートし続けているためだ。

 

社会の価値観がアップデートし続けるかぎり、かならず古い価値観(悪)も現れ続ける。

 

いいかえれば、

悪は相対的な価値観の

違いから生じる

ともいえるだろう。

 

相対的な価値観の違いから生まれるものであるからこそ、この世から悪がなくならないのだ。

【まとめ】悪が生まれるプロセス

1.もともとの社会に、悪は存在していなかった。

 すなわち、みんな共通の価値観1.0をもっていた

2.科学技術や学問が進歩した結果、社会がより高くて広い視点を獲得した。

 社会の価値観が1.0から2.0へとアップデートした

3.社会全体の価値観が2.0へとアップデートした結果、古い価値観1.0をもった人間や組織が「悪」として認識されるようになった

 

なお、

中二病をわずらった

中学2年生

を対象に、なぜ悪が存在するのかについて、神の存在証明との関係や、サンデル教授の正義の話ブラック企業のルーツなぜ悪人やサイコパスが存在するのか?悪をなくすための具体的な方法など、中二病男子や中二病女子が好きそうな話題を中心に、もう少しディープかつ踏み込んだ以下の記事もおすすめだ。

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オタクパパより愛を込めて!

 

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この記事を書いた人

重度のコミュ障のため、友達ゼロのオタク親父。初音ミクと魔法少女をこよなく愛する。

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