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宇宙には始まりがなく無限に続いているのか?天才哲学者カントの衝撃の結論

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親愛なる読者諸君!

オタクパパだ!

 

前回、18世紀に活躍した天才哲学者イマヌエル・カントが、その著書「純粋理性批判」において、

「宇宙に始まりがある」

という考えは

間違いである

という衝撃的な結論を示したことを紹介した。

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18世紀の哲学界に衝撃を与えた天才哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)

「宇宙に始まるがある」という考えが間違いであるなら、

宇宙には始まりがなく

無限に続いている

のだろうか?

 

というわけで、今回は、宇宙に始まりがなく、無限に続いているのかどうかについて、カントの驚くべき考察を紹介したい。

【2020年7月18日追記】

宇宙には始まりがなく、無限に続いているのか?

さて、宇宙に始まりがなく、無限に続いているのだろうか?

 

この疑問に対し、カントは「純粋理性批判」において、次のように述べている。

世界は、時間において始まりを持たないと仮定してみよう。

そうすると、世界における事物の相互に継起する状態の無限の系列が過ぎ去ったことになる。

しかし系列の無限は、継起的綜合によっては決して完結されえないことを意味する。

つまり無限の系列は、現在に至ることなく、現在から綜合しても完結しない。

それゆえ、過ぎ去った無限の世界系列は不可能で偽となる。

引用 イマヌエル・カント「純粋理性批判」

これはどういうことだろうか?

 

前回と同じく、Youtubeやニコニコ動画などの動画サイトの例におきかえて考えてみよう。

 

あなたは、宇宙が成長していく過程をひたすら描いた動画を視聴していると仮定しよう。

この動画のタイトルはスバリ、

THE 宇宙

だ!

 

ところで、宇宙が成長していく過程は、100億年以上もの膨大な時間を要するので、たった1本の動画に収まるはずがない。

 

それゆえ、「THE 宇宙」は、かりに1本の動画あたり1億時間分もの宇宙の歴史が圧縮して収録されていたとしても、

100本以上

もの動画からなる

大長編シリーズ

であることは、容易に理解できるだろう。

 

ここで簡単のため、あなたは1本の動画を1時間で視聴するものとしよう。

 

すなわち、100本の動画を視聴したら、100時間経過したことになる。

 

このように仮定したとき、あなたが「THE 宇宙」シリーズを第1巻から見始めたとして、はたして最新巻の「現代編」まで到達することができるだろうか?

 

ここで、よく考えてみてほしい。

 

現在の時点ですでに

過去に「無限の時間」が流れていた

という状態は、動画の視聴に例えれば、「THE 宇宙」シリーズの現代編の動画を観る以前に

「無限本の動画」

を観おわった

ことに相当する。

 

だが、あなたがどんなに頑張ったところで、

無限本もの動画

を視聴することは

原理的に不可能

だ。

 

なぜか?

 

例えば、あなたが漫画「無限の住人」の主人公・万次と同じように、不老不死の肉体の持ち主であったと仮定しよう。

さらに、あなたは一日中「THE 宇宙」の動画ばかりをひたすら視聴しつづけることができる、ニート的な環境にいるものとする。

 

このような理想的な環境にあったとしても、あなたは「THE 宇宙」シリーズの視聴を決してコンプリートすることはできない。

 

なぜなら、仮にあなたが1,000,000本の動画を観ようが、1,000,000,000本の動画を観ようが、はたまた1,000,000,000,000本の動画を観ようが、これらはいずれも

有限の数

であることには変わりはないからだ!

だから、どんなに視聴動画の本数を増やしたところで、

「ついにやった!

 現代編に至るまで

 『THE 宇宙』シリーズの

 無限本の動画の視聴を

 コンプリートしたぜ!」

という状態は、決して実現することはできない。

 

もし、そんな人間がいるとすれば、そいつは

100%嘘をついている

ことになる。

 

そしてこれが、「純粋理性批判」において、カントが

系列の無限は、継起的綜合によっては決して完結されえないことを意味する。

つまり無限の系列は、現在に至ることなく、現在から綜合しても完結しない。

引用 イマヌエル・カント「純粋理性批判」

で言おうとしていたことなのだ。

無限の系列が決して完結しないことの説明

ここで、

継起的綜合

(けいきてき そうごう)という言葉が出てきたが、これは何を意味するのだろうか?

 

ここで、「継起」とは「引き続いて起こること」を意味することから、「継起的総合」とは「引き続いて起こることを総合したもの」という意味がある。

 

それゆえ、「継起的総合」とは、上の動画の例でたとえるなら、

1本1本の動画を次々と視聴する行為をトータルしたもの

に相当する。

 

すなわち、上のカントの表現をいいかえると、次のようになる。

連続して次々と生じる事象をどんなに積み上げたところで、「無限の時間が流れた」という状態は決して完結できない

この考えをより深く理解するため、もう一度、動画の例で考えてみよう。

 

あなたは、1本目から視聴した動画の数を

「1本目、2本目、3本目・・・」

と、1つ1つカウントしていくとしよう。

 

このとき、あなたが視聴した動画の本数が1,000,000本であろうが、1,000,000,000本であろうが、はたまた1,000,000,000,000本であろうが、

カウントの系列が

どこかの時点で

完結したとすれば

トータルのカウント数

は必ず有限の数になる

はずだ。

1、2、3、・・・というカウントの系列がどこかの時点で完結する

 ↓

トータルのカウント数は必ず「有限の数」になる

これについては、異論はないだろう。

 

これは逆に考えれば、無限本の動画があるなら、あなたが視聴すべき動画のカウントは決して完結することはないということを意味する。

 

なぜなら、あなたがどんなに多くの動画を視聴したところで、あなたがこれまで視聴した動画の本数(N)よりも大きな数(N+1)が必ず存在するからだ!

 

例えば、あなたが「THE 宇宙」シリーズのN=1,000,000本目の動画の視聴をコンプリートしたとしよう。

 

だが、N=1,000,000は有限の数であるため、これで終わりではない

 

N本目の動画をコンプリートしたとしても、まだ視聴していないN+1=1,000,001本目の動画が存在していることにあなたは気づくはずだ。

 

そこで、あなたはこの未視聴の動画を視聴して、N+1=1,000,001本目の動画の視聴をコンプリートしたとしよう。

 

だが、N+1=1,000,001も有限の数であるため、これで終わりではない

 

N+1本目の動画をコンプリートしたとしても、まだ視聴していないN+2=1,000,002本目の動画が存在していることにあなたは気づくはずだ。

(以下、同様につづく)

 

このように、

無限本の動画の

視聴のカウントは

決して完結する

ことがない

のだ!

 

それゆえ、

現在の時点までに、無限本の動画の視聴をコンプリート(完結)した

という状態は、絶対に実現できないのだ!

 

そして、これこそが、カントの「純粋理性批判」における

無限の系列は、現在に至ることなく、現在から綜合しても完結しない。

という言葉の本質的な意味だ。

 

このような考察から、カントは、

「宇宙に始まりがない」

と仮定した場合、

宇宙は決して

現在に到達できない

という、衝撃的な結論を導き出したのだ!

な、なんだってーーーっ!!

「背理法」を用いた論法

ここで、

「おい、ちょっと待てよ!

 宇宙が決して現在に

 到達できないって

 おかしいだろ?」

「現に、オレたちは

 現在の宇宙の中に

 存在(到達)してる

 じゃないか!?」

と思う人も多いかもしれない。

 

実際、これは明らかな矛盾のように思える。

 

図解すると、次のような関係が成り立つことがわかる。

仮定「宇宙に始まりがなく、無限に続いている」

 ↓ 論理的に導かれる

結論「宇宙は決して現在に到達できない」

  ↑ 矛盾

事実「現に、宇宙は現在に到達している」

それゆえ、「宇宙が現在に到達している」という事実との矛盾を回避するには、

最初に立てた

仮定が間違っていた

と結論せざるを得ない。

 

なぜなら、「宇宙は決して現在に到達できない」という上の結論は、「宇宙に始まりがなく、無限に続いている」という仮定から論理的に導かれるものだからだ。

 

これは前回も紹介した

背理法

の考え方だ。

 

これから、次のような結論が導かれることになる。

結論:

事実との矛盾を回避するには、

「宇宙に始まりがなく、無限に続いている」

という仮定が間違っていたと結論せざるを得ない

このような考察を経て、カントは、

「宇宙に始まりがなく、

 無限に続いている」

という仮定は間違いである

という結論に至ったのだ!

「予想の斜め上」をいく天才カントの超展開的発想

さて、前回紹介したカントの考察から、

「宇宙に始まりがある」

という考えは間違いである

という結論が得られたことを紹介した。

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一方、今回の考察から

「宇宙に始まりがなく、無限に続いている」

という考えも間違いである

という結論が得られた。

 

それゆえ、カントの考察によれば、

前回:「宇宙に始まりがある」という考えは間違いである

今回:「宇宙に始まりがない」という考えも間違いである

という、まるで

禅問答

のような結論が得られたことになる。

 

ここで、

「おい! 

 ちょっと待て!」

「宇宙に始まりがあっても

 宇宙に始まりがなくても

 どっちも間違ってるって

 論理的にありえないだろ!?」

と思われる方も多いかもしれない。

 

このような矛盾しまくった結論が得られた場合、われわれのような凡人なら、混乱しまくって思考停止におちいるだろう。

 

だが、

哲学史上

最高の天才

であるカントの冴えわたった頭脳は、その程度の矛盾で動じることはなかった!

カントは、われわれの

予想の斜め上を行く

超展開

ともいえる衝撃的な結論を導きだしたのだ!

 

なんと、カントは、宇宙の始まりについて、このような矛盾が生じるのは、

宇宙の始まりの問題が、人間の理性では決して知ることのできない領域にある

ためだと考えたのだ!

人間の理性を超えた世界は存在するか?

ここで、次のように反論する人がいるかもしれない。

「ふざけんな!

 人間の理性を超えた

 世界が存在するだと!」

「そんなオカルトじみた

 話があるわけねーだろ!」

ご指摘のとおり、カントの生きていた18世紀の時代において、人間の理性の限界を超えた世界というのは、単なる妄想の産物にすぎなかった。

 

だが、それから200年後、物理学の発展が思わぬ展開を見せ、カントのいう

人間の理性を超えた

世界が確実に存在する

ことを明らかにしたのだ!

 

従来、ニュートンが創始したマクロの世界の運動を記述する古典力学の世界では、物質の運動は、

Aに存在するか

Aに存在しないか

という単純な二者択一の論理に従っていた。

アイザック・ニュートン(1642-1727)

例えば、Aさんが2020年9月18日の12時に東京にいた場合、同時刻にAさんが遠く離れた大阪にいることはありえない。

 

逆に、Aさんが2020年9月18日の12時に大阪にいた場合、同時刻にAさんが遠く離れた東京にいることはありえない。

 

すなわち、古典力学では、

Aさんはある時刻に

東京に存在するか

東京に存在しないか

のいずれかの場合しかありえないと考える。

 

だが、

ミクロの世界の運動

を記述する量子力学

によれば、上のような二者択一の論理は破綻する。

 

すなわち、量子力学では、

1つの粒子Xが

A地点とB地点の

両方の地点に

同時に存在する

という、実に不可思議なことが起こりうるのだ!

 

だが、これは矛盾ではなく、多くの科学者により実験的に検証された事実なのだ!

 

実際、量子コンピュータもこの

量子力学的な

重ね合わせの原理

を利用すべく設計されているといっていい。

量子コンピュータ

出典  IBM Zurich Lab – https://live.staticflickr.com/4403/23518086798_a41771999f_o_d.jpg

さらに、ビッグバンの時点では、宇宙は原子よりも小さな1点に凝縮されていたと考えられており、このようなミクロの世界では、量子力学の法則が適用されることが判明している。

それゆえ、宇宙の始まりの時点では、「Aであるか、Aでないか」という古典力学的な二者択一の論理は完全に崩壊しており、

「宇宙に始まりがある」か

「宇宙に始まりがない」

のいずれかが正しい

と考えること自体、無意味なのだ!

 

いや、ひょっとすると、

「宇宙に始まりがある」

「宇宙に始まりがない」

という相反する

2つの状態が

量子力学的な

重ね合わせの原理に

従って共存している

可能性だって、十分に考えられるのだ。

 

カントの凄いところは、このような二者択一的な論理が破綻し、人間の理性の限界を超えた世界がたしかに存在しているということを、

量子力学の発見よりも

200年以上も前に予見した

点にあるといえるだろう。

 

しかも、驚くべきことに、カントは上のような結論を実験器具を一切用いることなく

頭の中の思考だけ

到達した

のだ!

 

それゆえ、カントこそはまさしく

史上最高の

天才哲学者

といっても過言ではないだろう。

というわけで、諸君も古典力学的な二者択一の論理で割り切ることのできない、人間の理性を超えた世界がたしかに存在することを十分に理解し、古今東西のすぐれたSF作品を堪能して、充実したオタクライフを存分に満喫してほしい!

 

オタクパパより愛を込めて!

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この記事を書いた人

重度のコミュ障のため、友達ゼロのオタク親父。初音ミクと魔法少女をこよなく愛する。

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