宇宙には始まりがなく無限に続いているのか?天才哲学者カントの衝撃の結論

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親愛なる読者諸君!

オタクパパだ!

前回、天才哲学者カントにより、

「宇宙に始まりがある」という考えは間違っている

という衝撃的な結論が得られた。

それでは、

宇宙には始まりがなく

無限に続いている

のだろうか?

今回は、宇宙に始まりがなく、無限に続いているのかどうかについて、カントの考察を紹介したい。

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宇宙には始まりがなく、無限に続いているのか?

宇宙に始まりがなく、無限に続いているのだろうか?

この疑問に対し、カントは「純粋理性批判」において、次のように述べている。

世界は、時間において始まりを持たないと仮定してみよう。そうすると、世界における事物の相互に継起する状態の無限の系列が過ぎ去ったことになる。しかし系列の無限は、継起的綜合によっては決して完結されえないことを意味する。つまり無限の系列は、現在に至ることなく、現在から綜合しても完結しない。それゆえ、過ぎ去った無限の世界系列は不可能で偽となる。

引用 カント「純粋理性批判」

これはどういうことだろうか?

前回と同じく、Youtubeやニコニコ動画などの動画の例で考えてみよう。

あなたは、宇宙が成長していく過程を描いた動画を視聴しているとする。

動画のタイトルはずばり、

ザ・宇宙

だ。

もちろん、宇宙が成長していく過程は恐ろしく膨大な時間を要するので、1本の動画に収まるわけがなく、複数の動画からなる大長編シリーズとなっている。

ここで簡単のため、あなたは1本の動画を1時間で視聴するものとしよう。

すなわち、100本の動画を見たら、100時間が経過したことになるわけだ。

このように仮定したとき、あなたが「ザ・宇宙」シリーズを見始めて、最新巻の「現代編」まで視聴することができるだろうか?

ここで、現在の時点ですでに

「過去に無限の時間が流れていた」

という状態は、動画の視聴に例えれば、現代編の動画を観る前に

無限本の動画を観ていた

ことに相当する。

だが、あなたがどんなに頑張ったところで、

無限本の動画を観ることは

原理的に不可能

だ。

仮に、あなたが「無限の住人」の万次と同じような不老不死の肉体の持ち主であったとしよう。

その上、一日中、動画ばかり視聴し続けることができるニート的な理想的な環境であったとしても、あなたは無限本の動画を決してコンプリートすることはできない。

百万本の動画を頑張って観たとしても、せいぜい100万時間前までの宇宙しかフォローできないのだ。

もちろん、必死で頑張って、動画を観る本数を増やしたところで、本質は変わらない。

なぜなら、あなたが1,000,000本の動画を観ようが、1,000,000,000本の動画を観ようが、はたまた、1,000,000,000,000本の動画を観ようが、これらはいずれも

有限の数

であることには変わりはないからだ。

それゆえ、

「オレ、現代編に至るまで、

 無限本の動画の視聴をコンプリートしたぜ!」

という状態は、決して実現することはできない。

もし、そんな人間がいるとすれば、そいつは

100%嘘をついている

ことになる。

これは小学生でも分かる道理だ。

そしてこれが、「純粋理性批判」において、カントが

系列の無限は、継起的綜合によっては決して完結されえないことを意味する。つまり無限の系列は、現在に至ることなく、現在から綜合しても完結しない。

でいわんとしていたことなのだ。

無限の系列が決して完結しないことの説明

動画の例でたとえるなら、

「1本1本の動画を次々と視聴する行為をトータルしたもの」

が、ちょうどカントのいう「継起的綜合」に相当する。

すなわち、カントが「純粋理性批判」において、いいたかったことは、

連続して次々と生じる事象をどんなに積み上げたところで、「無限の時間が流れた」という状態は決して完結できない

ということなのだ。

この考えを十分に理解するため、もう一度、動画の例で考えてみよう。

あなたは、1本目から視聴した動画の数を

「1本目、2本目、3本目、・・・」

と、1つ1つカウントしていくとする。

このとき、あなたが視聴した動画の本数が1,000,000本であろうが、1,000,000,000本であろうが、1,000,000,000,000本であろうが、

カウントの系列がどこかの時点で完結したとすれば、

トータルのカウント数は必ず有限の数になる

はずだ。

1、2、3、・・・というカウントの系列がどこかの時点で完結する

 ↓

トータルのカウント数は必ず有限の数になる

これについては、異論はないだろう。

逆に、無限本の動画があるなら、あなたが視聴すべき動画のカウントは決して完結することはない。

なぜなら、あなたがどんなに多くの動画を視聴したところで、あなたがこれまで視聴した動画の本数(N)よりも大きな数(N+1)が必ず存在するからだ。

例えば、あなたがN=1,000,000本目の動画の視聴をコンプリートしたとしても、さらにN+1=1,000,001本目の動画が残されており、あなたがN=1,000,001本目の動画の視聴をコンプリートしたとしても、さらにN+1=1,000,002本目の動画が残されている(以下略)。

このように、無限本の動画の視聴のカウントは決して完結することがないため、

現在の時点までに、無限本の動画の視聴をコンプリート(完結)した

という状態は、絶対に実現できないのだ。

そして、これこそが、「純粋理性批判」における

無限の系列は、現在に至ることなく、現在から綜合しても完結しない。

という言葉の本質的な意味だ。

このような考察から、カントは、

「宇宙に始まりがない」

と仮定した場合、

宇宙は決して現在に到達できない

という、衝撃的な結論を導き出したのだ。

「背理法」を用いた論法

ここで、

「ちょっと待てよ!

 宇宙が決して現在に到達できないって、おかしいだろ?

 現に、オレたちは、現在の宇宙の中に存在しているではないか?」

と思う人も多いだろう。

これは明らかな矛盾といえる。

それゆえ、次のような構図が成り立つことになる。

仮定「宇宙に始まりがなく、無限に続いている」

 ↓ 論理的に導かれる

結論「宇宙は決して現在に到達できない」

    ↑ 矛盾

事実「現に、宇宙は現在に到達している」

それゆえ、「宇宙が現在に到達している」という事実との矛盾を回避するには、

最初に立てた仮定が間違っていた

と結論せざるを得ない。

これは前回も紹介した

「背理法」の考え方

だ。

その結果、次のような結論が導かれることになる。

結論:

事実との矛盾を避けるには、

「宇宙に始まりがなく、無限に続いている」

という仮定が間違っていたと結論せざるを得ない

このような考察を経て、カントは、

「宇宙に始まりがなく、無限に続いている」

という考えは間違っている

という結論に至ったのだ。

「予想の斜め上」をいく天才カントの超展開的発想

さて、前回紹介したカントの考察によれば、

「宇宙に始まりがある」

という考えは間違いである

という結論が得られた。

だが、今回の考察では、

「宇宙に始まりがなく、無限に続いている」

という考えも間違いである

という結論が得られた。

それゆえ、カントの考察によれば、

1.「宇宙に始まりがある」という考えは間違い

2.「宇宙に始まりがない」という考えも間違い

という、禅問答のような結論が得られたわけだ。

ここで、

「おい! ちょっと待てよ!

 どっちも間違ってるって、

 論理的にありえないだろ!?」

と思われる方も多いかもしれない。

この矛盾しまくった結論に、凡人ならさしずめ混乱しまくってて思考停止に陥るだろう。

だが、キング・オブ・ザ・童貞たるカントは、その程度で動じることはない。

彼は、大方の予想の斜め上を行く「超展開」ともいえる衝撃的な結論を導きだす。

カントは、宇宙の始まりについて、このような矛盾が生じるのは、

宇宙の始まりの問題が、人間の理性では決して知ることのできない領域にある

ためだと考えたのだ!

人間の理性を超えた世界は存在するか?

ここで、次のように反論する人がいるかもしれない。

「ふざけんな!

 人間の理性を超えた世界が存在するだと!

 そんなオカルトじみた話があるわけねーだろ!」

ご指摘のとおり、カントの生きていた18世紀の世界では、人間の理性の限界を超えた世界というのは、単なる妄想の産物にすぎなかった。

だが、それから200年後、物理学の発展が思わぬ展開を見せ、カントのいう

人間の理性を超えた世界が確実に存在する

ことを明らかにしたのだ!

従来、ニュートンが創始したマクロの世界の運動を記述する古典力学の世界では、物質の運動は、

Aであるか、Aでないか

という単純な二者択一の論理に従っていた。

例えば、粒子XがA地点に存在していたら、同じ粒子Xが遠く離れたB地点に存在することはない。

一方、粒子XがB地点に存在していたら、同じ粒子Xが遠く離れたA地点には存在することはない。

すなわち、古典力学の世界では、

粒子Xは、A地点に存在するか、A地点に存在しないか

のいずれかの選択肢しかありえなかったのだ。

だが、ミクロの世界の運動を記述する量子力学によれば、上のような二者択一の論理が破綻し、

1つの粒子Xが、A地点とB地点の両方の地点に同時に存在する

という不可思議なことが起こりうるのだ!

だが、これは矛盾ではなく、実験的に検証された事実であり、量子コンピュータもこの量子力学的な重ね合わせの原理を利用すべく設計されているといっていい。

また、ビッグバンの時点では、宇宙は原子よりも小さな1点に凝縮されていたと考えられており、そのようなミクロの世界では、量子力学の法則が適用される。

それゆえ、宇宙の始まりの時点では、「Aか、Aでないか」という二者択一の論理は完全に崩壊しており、

「宇宙に始まりがある」か「宇宙に始まりがない」のいずれかが正しい

と考えること自体、無意味なのだ。

いや、ひょっとすると、

「宇宙に始まりがある」

「宇宙に始まりがない」

という相反する2つの状態が

量子力学的な重ね合わせの原理に従って共存している

可能性だって、十分に考えられるのだ。

カントの凄いところは、このような二者択一的な論理が破綻し、人間の理性の限界を超えた世界がたしかに存在しているということを、量子力学の発見よりも200年以上も前に予見した点にあるといえるだろう。

というわけで、諸君も単純な二者択一の論理で割り切ることのできない人間の理性を超えた世界がたしかに存在することを十分に理解した上で、優れたSF作品を堪能し、充実したオタクライフを存分に満喫してほしい!

オタクパパより愛を込めて!

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