親愛なる読者諸君!
オタクパパだ。
今回は、永遠の0PV状態から脱出すべく、従来のマイナー路線を大幅に変更して、かつて東京で消耗しまくっていた人も推奨しているオピニオン記事を書くことにしたい。
年収1000万円以上の男性限定!現代の婚活女性のリアル
先週、いつものように、はてブを巡回していたら、次のような記事が話題になっていた。
参考
この記事によると、優香さん(仮名、32歳)は、これまで高収入の男性にしか興味がなく、彼女いわく、絶対に年収1000万円以上の男性と結婚したいそうだ。
実際、その言葉の通り、彼女は大学を卒業して以来、4人の高収入の男性としか付き合ったことはないとのことだ。
しかも、恋愛に走って貧乏な男性とうっかり結婚してしまうと後悔してしまうため、わざわざ年収1000万円以上の男性としかお付き合いしないという徹底ぶりだ。
これらの事実から、ひょっとして、彼女が金に執着する亡者のような人間だと思ってしまう人もいるかもしれない。
だが、興味深いことに、彼女は貯金もそれなりにあり、特にお金に不自由しているわけでもなく、貧しい家庭に育ってすごく贅沢をしたいわけでもなく、また、普通のOLをしていて、決して怠けたいわけでもないそうだ。
それにもかかわらず、彼女は、低収入の男性とは絶対に結婚したくないと主張しているのだ。
ここまで読んだあなたは、
「その優香という女性はよっぽど美人の女性なんだろうな・・・」
という感想を抱くかもしれない。
だが、優香さんいわく、「私はすごく美人というわけではない」とのことだ。
また、32歳という年齢も、20代の女性も多い昨今の婚活市場において、決して若い年齢とはいえないだろう。
ここで不思議なのは、優香さんのように、格別美人でも若くもないごく普通のありふれた女性が、なぜそこまでして、年収1000万円以上の男性に頑ななまでにこだわるのかという点だ。
だが、優香さんによると、何も彼女が特別な存在というわけではなく、彼女のまわりには同じような女性がたくさんいるそうなのだ。
高収入男性限定の婚活女性が急増する日本の婚活市場
ここで、
「そんな女、少数派だろ!」
と思う人もいるかもしれない。
だが、実をいうと、最近の婚活市場において、優香さんのように、格別美人でもなく、それほど若くもない普通の女性であるにも関わらず「年収1000万円以上の男性でないとダメだ!」とこだわる婚活女性が急増しているのだ。
実際、私はごく最近まで精力的に婚活を行い、運よくいまの嫁と出会って結婚したのだが、婚活をはじめるに当たり、著名な婚活アドバイザーから次のように忠告されたことがある。
「オタクパパさん、
いまの婚活女性は1番に年収を重視します!
実際、婚活市場において、1000万円未満の男性は、よほど女性にモテる男性でない限り、基本的には、まったく見向きもされません。
残念ながら年収1000万円未満の男性は、女性からの返答率が悪く、かなり苦戦しているのが現状です」
そして、相手の女性から返事が返ってくる返答率が、年収1000万円以上と、それ未満とで大幅に異なるという統計グラフを見せられて仰天したものだ。
その婚活アドバイザー自身、これまで何百人もの20代〜30代の婚活女性達に実際にアプローチをして、それなりの成果をあげており、また婚活中の女性の友達も何百人もいて常時相談に乗っていたため、彼の言葉はある意味真実を含むものといえるだろう。
すなわち、冒頭でとりあげた優香さんのような年収1000万円以上の男性を求める婚活女性は特殊な事例ではなく、ここ昨今の婚活市場において急増しているのが現状なのだ!
漫画「この世界の片隅に」に見られる戦中の結婚事情
Amazonリンク この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)
そんなある日、私はふとしたことから、ある漫画を読んで、日本の婚活女性に対する考え方が180°ひっくり返ったことがある。
その漫画は、こうの史代(ふみよ)原作の「この世界の片隅に」だ。
最近、映画化されて話題になったので、ご存じの方も多いだろう。
「この世界の片隅に」は、戦中に結婚して相手方の家に嫁いだばかりの若い女性の何気ない日常生活を描いた漫画だ。
主人公の浦野すずは、海軍軍法会議の録事(書記)である北條周作に見初められて結婚するのだが、結婚に至るまでの経緯が、現代の婚活の常識からあまりにも外れているのだ。
というのも、いきなり見知らぬ男性から、
「嫁に欲しい」
という電話があって、そのまま断ることもなく速攻で結婚が決まってしまったのだ!
(↓)「気に入らな断りゃええ」と母親に言われつつも、会ったばかりの男性をどう評価したらいいかも分からず、そのまま見知らぬ男性と結婚する浦野すず。実際、この当時の日本では、婚礼当日になって初めて相手の顔を知ったとか、相手の顔を見知ってはいても、ひと言も会話を交わしたこともないまま、婚礼当日になった初めて相手と会話を交わしたという例が少なくなかったそうだ。
引用 「この世界の片隅に」こうの史代
しかも、結婚相手の周作は、婚礼当日になっても、浦野すずとまったく会話をすることなく、始終無言で通すほどの寡黙で大人しい男なのだ。
今風にいえば、さしずめ周作は、コミュ障の男性といったところだろう。
要するに、相手の男性の学歴や年収はおろか、素性や顔も知らないまま、電話一本で指名されて結婚に至ったのだ!
「戦前はお見合いが主流だった」というネットの嘘
こういう話を知ると、現代の日本の婚活女性の多くは憤慨して、
「相手の男性が一方的に指名して結婚相手を決めるなんてありえない!
お見合いなんて、古い時代の遺物よ!
恋愛結婚こそ、現代的で新しい制度だわ!」
と、息巻くかもしれない。
実際、このような婚活女性の考えを裏付けるデータとして、ネット上でよく引用される次のようなグラフがある。
引用 平成25年版 厚生労働白書
上の図表は、横軸が1930年から2009年までの5年ごとの年数の変化を示し、縦軸が恋愛結婚と見合い結婚の割合(%)を示したグラフだ。
オレンジ色のグラフが見合い結婚の割合の5年ごとの変化を示し、青色のグラフが恋愛結婚の割合の5年ごとの変化を示す。
このグラフを見ると、過去に遡るほど、オレンジ色の「見合い結婚」のグラフが約70%にまで上昇し、青色の「恋愛結婚」のグラフが約13%まで下降していることがわかる。
これから、戦前になるほど、お見合い結婚が主流であったのが、1960年代を境に恋愛結婚の割合がお見合い結婚の割合を上回り、戦後になるほど恋愛結婚が主流になっていったと判断できる。
だが、このグラフから、1930年以前の日本では、恋愛結婚は限りなくゼロに近く、ほとんどお見合い結婚しか許されていなかったと結論するのは大きな間違いだ。
なぜなら、人間の脳は、見える部分の情報に基づき、見えない部分の情報を無意識に補完するゲシュタルト的な本能があるためだ。
実際、民俗学の研究によれば、「戦前はお見合いが主流だった」という考えが大嘘であることが明らかにされている。
その証拠に、佛教大学文学部の八木透教授は、論文「婚姻儀礼の変遷と現代」において、戦前の恋愛と結婚について、日本の広い地域で、戦前には「恋愛結婚」が主であったのが、戦中から戦後に「見合い結婚」へと変化したと指摘している。
以下、「婚姻儀礼の変遷と現代」から一部引用しよう。
男女が出逢う機会は夏の盆踊りであった。当時は自分の村だけでなく、近隣の村々の盆踊りにも出かけたので、その際に村の娘が他村の若者にかまわれないように村の若者が同行した。娘と同数程度の若者がいっしょに夜道を通いながら数多くの村々の盆踊りを回り歩くので、必ずといってよいほど特定の男女の聞に恋が芽生えた。このように盆踊りでの出逢いをきっかけとして恋愛に発展していった例が多かったという。
引用 「婚活儀礼の変遷と現代」(太字は筆者による)
このように、戦前の男女は、盆踊りで相手と出逢い、その後、恋愛的な交際に発展したのだ。
これはちょうど、欧米社会において、ダンスパーティーで出逢った男女が恋愛関係に発展していく恋愛構造とほぼ同じ構造だ。
また、八木教授は戦前の恋愛について、次のように指摘している。
これまでの豊富な民俗学の成果から、関西のみならず日本の広い地域において、明治から大正期に恋愛があたりまえに行われていたという事実を確認することができる。かつての日本には、多くの人たちが想像する以上に豊かな「恋の文化」が存在していたのである。それが昭和になって徐々に否定されるようになり、「見合い結婚」が主流となっていったのである。
引用 「婚活儀礼の変遷と現代」(太字は筆者による)
このような事実から、八木教授は、
戦前は恋愛が一般的で、お互いに好きあって結婚する例が多かった
との結論を下している。
このように、戦前はお見合い結婚ではなく、恋愛結婚のほうがむしろ主流だったのだ!
むしろ、見合い結婚こそが、昭和のごく短い期間に生じた特殊な結婚スタイルだったのだ。
戦前の日本女性が結婚相手に求めた最低年収は?
さて、話が少し脱線したので、本筋に戻ろう。
「この世界の片隅に」を読んで、私が不思議に思ったのは、相手の年収も知らされることなく、相手の男性から一方的に指名されて結婚した割に、浦野すずは不満もなく、むしろ幸せそうに周作との結婚生活を楽しんでいるという点だ。
戦前の女性は、浦野すずのように、結婚相手の年収もまったく気にしないほど無欲だったのだろうか?
実は、この疑問について、「教科書には載っていない!戦前の日本」(武田知弘)にその答えが記されていた。
Amazonリンク 教科書には載っていない!戦前の日本
「教科書には載っていない!戦前の日本」には、戦前の女性雑誌『婦人之友』の昭和8年(1933年)1月号に「婦人の結婚難を解消する方法」と題して、次のような記事が掲載されている旨が紹介されている。
以下、この本から一部を引用しよう。
この頃のお嬢様方に、結婚の理想を訊ねてみますと、何よりもまず生活の安定が第一の条件になっています。
たとえば、月収百円以下では困るとか、多少の財産がなくてはいけないとか、贅沢をしたいとは思わないが、たまには芝居を観たり温泉に行ったりするくらいの余裕が欲しいとか、そんなことがかなり重要な条件に上げられております。
引用 「教科書には載っていない!戦前の日本」(太線は筆者による)
著者の武田知弘氏によれば、『婦人之友』は、戦前に100万部近くの発行部数を誇った人気婦人雑誌であり、特別裕福な層ばかりが読んでいたわけではないので、上の記事は、ごく一般的な女性読者を対象にしたものだったのだろうとのことだ。
ところで、上であげられている月収100円は、現代の物価になおせばどのくらいだろうか?
ここで、簡単な計算をしてみよう。
日本銀行の資料(昭和40年の1万円を、今のお金に換算するとどの位になりますか?)によると、1933年当時の企業物価指数は0.951であることが判明している。
一方、2016年の企業物価指数は658.2であるため、1933年の100円は、現在の69,211円、すなわち約70,000円に相当する。
この計算から、戦前の日本女性は、現代の価格に換算して、結婚相手に最低月収7万円、すなわち、
最低年収84万円
を要求していたことがわかる。
すなわち、戦前の日本女性が求めた年収のレベルは、年収100万円の男性でも余裕でパスする水準だったのだ!
これからわかるように、戦前の日本女性は、結婚相手の男性に多くの年収を求めない、浦野すずのような無欲な女性が多かったといえるだろう。
「選択のパラドックス」が婚活女性の謎を解くカギだった!
さて、戦前には、100万円以下の最低年収で結婚してくれる、浦野すずのような無欲な女性が多かった。
だが、昨今の日本の婚活女性が求める最低年収は1,000万円と、戦前の10倍以上もの水準に跳ね上がったことは、冒頭で紹介した通りである。
それではなぜ、最低年収1,000万円を求める婚活女性が急増するようになったのだろうか?
一体なにが、浦野すずのような謙虚な日本女性を狂わせたのだろうか?
実は、アメリカの心理学の学説が、この謎を解く大きなカギとなる。
その学説とは、5人ものノーベル賞受賞者を輩出したアメリカの名門スワースモア大学の心理学者であるバリー・シュワルツ教授が、2004年の著書「The Paradox of Choice – Why More Is Less」において提唱した「選択のパラドックス」だ。
カナダのバンクーバーで2005年に開催された講演会TED2005において、バリー・シュワルツ教授は、「選択肢は多いほどよい」という近代の定説に対し、真っ向から対立する説を提唱している。
彼の結論はこうだ。
「選択肢が多いほど、人は不幸になる」
なぜ、選択肢が多いほど、人が不幸になるのだろうか?
以下、バリー・シュワルツ教授のTED2005における講演内容をもとに、「選択のパラドックス」が生じる4つの原因について、順を追って説明しよう。
参考
【原因1】多すぎる選択肢は選択を困難にする
あなたは、「ジャムの法則」というのをご存じだろうか?
ジャムの法則は、コロンビア大学ビジネススクールのシーナ・アイエンガー教授が、ジャムを使ったユニークな実験により見出された法則だ。
シーナ・アイエンガー教授は、6種類のジャムを並べたテーブルと、24種類のジャムを並べたテーブルの2つのテーブルを用意し、両方のテーブルで同じ人数の人に試食してもらうという実験を行った。
だが、最終的にジャムを購入した人の割合を見たところ、6種類のジャムを並べたテーブルでは、30%もの人々がジャムを購入したのに対し、24種類のジャムを並べたテーブルでは、わずか3%の人々しかジャムを購入しておらず、10倍もの差がついたことが判明したのだ。
これは、選択肢が多くなると、選択肢が少ないときよりも、判断がしづらくなることに起因する。
これがジャムの法則だ。
このような現象について、バリー・シュワルツ教授は、選択肢が多すぎると、1つ1つの選択肢を検討するのが面倒になるため、選択することを後回しにしてしまいがちになり、結局何も出来なくなるのだと説明している。
だがなぜ、選択を後回しにすると不幸になるのだろうか?
これは婚活パーティーの例で考えると分かりやすい。
年に1回しか開催されない少人数の婚活パーティーにおいて、10人の候補者の中から意中の相手を選ぶことは、それほど困難ではないだろう。
だが、候補者の数が100人以上に増えるとどうだろうか?
候補者が100人もいると、100人全ての男性を吟味するのは、大変な時間と労力がかかる。
だが、素敵な男性とどうしても結婚したいあなたは、頑張って婚活パーティーに励み、運良く10人目にして、75点の男性に出会ったとしよう。
仮に、この婚活パーティが小さな村で開催される、年に1回きりの少人数のイベントなら、あなたは残りの9人の候補者と比較して、75点の男性を結婚相手に選んでいた可能性は高いだろう。
だが、この婚活パーティーが、全国に支店をもつ大手の婚活相談所が運営するイベントであり、全国で毎週のように開催されるパーティーの1つにすぎないとしたらどうだろうか?
このとき、あなたは、次のように考えるかもしれない。
「いまここで、75点の男性と結婚を決めてしまってもいいのかな?
もう少し待てば、80点、いや90点台の素敵な男性と出会えるかもしれない。
だって、こんなにたくさんの候補者の男性がいるもの!
もしここで、75点の男性と結婚してしまったら、90点の男性と結婚しなかった自分を一生呪い続けて生きるようになるかも・・・」
このように、選択肢が多くなると、どの時点で判断すればいいか分からなくなるため、結局、何も決められないまま無為に時間だけが過ぎてしまうのだ。
その結果、あなたは必然的に高望みばかりして、いつまでたっても結婚できない女になってしまう!
これが「選択のパラドックス」が生じる1つ目の原因だ。
【原因2】取らなかった選択肢が自分の選択の満足度を下げる
「選択のパラドックス」の2つ目の原因は、選択肢が多くある場合、選ばなかった選択肢の良いところを想像し、選んだ選択肢にその分不満をもつ度合いが多くなるというものだ。
これは、「この世界の片隅に」において、結婚相手に幼馴染みの水原を選ばなかった浦野すずが、「もし水原さんを結婚相手に選んでいたら」とちょっぴり後悔するようなものだ。
浦野すずの場合、選択されなかった候補者は水原1人だけだったので、周作に対する愛情が揺らぐことがなかったが、候補者の総数が、例えば10,000人に増えたとしたらどうだろうか?
10,000人もの候補者がいれば、その中には、億単位で稼ぐ青年実業家もいるかもしれないし、ジャニーズも顔負けの爽やかなイケメンもいるかもしれない。
自分が選んだ目の前の結婚相手の欠点を見るにつけ、その他の選ばなかった9,999人の青年達の優れた姿が頭をよぎるというのは、十分にありそうなことだ。
実際、生まれ変わったら別の人と結婚したいという女性が27.5%もいるという衝撃的なアンケート結果もある。
参考

これらの旦那に不満を抱える女性達は、選ばなかった多数の選択肢に思いをはせているのかもしれない。
優しくて理想の男性と結婚したはずなのに、
金持ち男性を選ばなかった私・・・
イケメン男性を選ばなかった私・・・
インテリ男性を選ばなかった私・・・
その他、9,996人もの素敵な男性を選ばなかった私・・・
ああ、私って、なんて不幸なんだろう!
このように、選ばなかった他の選択肢が、いつまで経ってもあなたの心から離れることなく、走馬燈のようにグルグルとしつこく駆けめぐるため、あなたはいつまでたっても今の結婚相手に満足できずに不幸になるのだ!
これが「選択のパラドックス」が生じる2つ目の原因だ。
【原因3】多くの選択肢が与えられると、期待値が増大する。
「選択のパラドックス」が生じる3つ目の原因に関して、バリー・シュワルツ教授は、ジーンズを買い換えに行ったときのエピソードを紹介している。
このとき教授は、店員からなんと100種類ものジーンズを提案されたそうだ。
教授はいろいろなジーンズを1時間にもわたって試着し、最高にフィットしたジーンズを購入した。
だが、教授の気分はなぜか最悪だった。
なぜなら、教授は、自分の購入したジーンズは良いものとは思ったが、他の100種類ものジーンズの存在を知ってしまった後では、自分の購入したジーンズが、もはや最高のジーンズとは思えなくなってしまったからだ。
この現象について、バリー・シュワルツ教授は、より多くの選択肢があることを知った結果、期待値が上昇し、相対的に自分が選択したもの満足度が低下するためだと説明している。
これが「選択のパラドックス」が生じる3つ目の原因だ。
【原因4】選択肢の多い中での決断は自責に陥りやすい
「選択のパラドックス」が生じる4つ目の原因について、バリー・シュワルツ教授は、多数の選択肢がある中で1つを選択することを決断したとき、たとえその決断がよいものであったとしても、もっと良いものがあったのではないかと、自責に陥りやすくなると述べている。
例えば、あなたが10,000人の候補者の青年に出会って、1人の青年と結婚した後、その青年の欠点(浮気性など)が明らかになったとしよう。
このとき、あなたは、
「あれだけたくさんの出会いがあったのに、どうしてベストな彼氏を見つけられなかったの?」
と、自分自身を責めるようになるのだ。
実のところ、この世の中に全く欠点のない人間など存在しないことを考えれば、誰を選んでも何かしらの欠点が見つかる可能性は高いといえるだろう。
だが、選択肢が多くなると、そのような単純な事実が隠されてしまい、欠点のない完璧な結婚相手を見つけられるのではないか、という期待が無意識のうちに形成されるのだ。
その結果、あなたの期待に沿わず、欠点のある青年を結婚相手に選んでしまったと考えてしまうことにより(そもそも、欠点のない青年が存在するという考え自体、あなた自身がつくり出した錯覚なのだが)、自分自身を責めずにはいられなくなるのだ。
これが「選択のパラドックス」が生じる4つ目の原因だ。
婚活市場における「選択のパラドックス」の罠
ここで、以上とりあげた「選択のパラドックス」が生じる4つの原因のうち、3つ目の原因、すなわち多くの選択肢を与えられると、期待値が増大するという現象が、年収1,000万円以上の男性でないと満足できない日本の婚活女性が急増した一番の要因といえるだろう。
なぜか?
以下、順を追って説明しよう。
小さなコミュニティ内での結婚は満足度が高かった
戦前において、村内での結婚が一般的であり、村の娘が選ぶ相手は、当然、同じ村に住む青年だった。
彼女が村一番の美人だったとしよう。
彼女は、村で一番勇敢で強い青年や、村で一番裕福な青年や、村で一番頭のいい青年や、あるいは、村で一番イケメンの青年などを自由に選ぶことができただろう。
そして、自分が選んだ結婚相手に後悔することなく、それなりに幸せな気分で結婚生活を全うできたはずだ。
なぜなら、彼女は村で一番の若者と結婚できたからだ。
彼女にとって、村でナンバーワンの若者と結婚したという事実こそが、同じ小さな村の女性達からうらやましがられる最高のステータスなのだ!
彼女の承認要求が最高に満たされたいま、それ以上、何を望むというのだろうか?
当然、不満など微塵もあるはずもない!
選択肢の増大とともに、日本の婚活女性は不幸になった
だが、ここで交通が発達して、村の外との交流が盛んになると、それまでの状況が一変する。
近隣の村を合わせて、合計100人もの候補者の青年がいたとしよう。
このとき、村の娘が選んだナンバーワンの同じ村の青年が、実は100人中59番目の男だと知ったら、村の娘はどう思うだろうか?
彼女はがっかりするのではないだろうか?
「え? アタシの選んだ彼氏って、本当は、100人中59番目のイケてない男だったの?
なんか、ちょっとガッカリ!」
59番目の青年には失礼な話だが、このような状況は現実に起こりうる話だ。
もちろん、交流範囲の増加とともに増えるのは候補者の青年の数だけではない。
村の娘が交流する女友達の数も相応に増えるだろう。
そして、その数多くの女友達の中には、100人中7番目のイケてる男と付き合っている女性も現れるかもしれない。
村の娘は、その女友達から次のようにいわれる。
「あなた、どうしてあんな野暮ったい59番目の男と付き合ってるの?
あんたのセンスって、さっぱり分からないわw
アタシなんか、100人中7番目のイケてる男とイイ関係にあるのよ!
しかも、アタシの彼氏さ、村の平均月収100円の倍の月収200円なのよ!」
このような話を親しい女友達から聞かされれば、村の娘も面白くないだろう。
それまで村の中で最高と思っていたはずの彼氏が、実はただの平凡な男で、しかも月収を含むあらゆる面で女友達のイケてる彼氏に負けているのだから。
いつの時代も、女性のコミュニティにおいては、結婚相手の評価は即、彼女自身の評価につながるのだ。
こうなると、村の娘が59番目の青年に不満を抱いて別れるようになるのも時間の問題だろう。
そして、彼氏と別れた後、彼女は、かつて自分を侮辱した女友達の鼻をあかすために、今度は100人中6番目以内の男を彼氏にすべく行動を起こすかもしれない。
だが、彼女の婚活がうまく行って、100人中3番目の青年の心を射止めることができたとしても、コミュニティがさらに広がって、その3番目の青年が実は、1000人の候補中575番目の男だということもありうる。
このように、所属するコミュニティの広がりとともに選択肢が増大し、結婚相手に求める期待値が上昇した結果、村の娘はもはやそれまでの待遇に満足できなくなったのだ!
「選択のパラドックス」による期待値の上昇を裏付ける資料
実は、村の娘をモデルにした上の説明は完全なフィクションではなく、「選択のパラドックス」による期待値の上昇を裏付ける資料に基づくものだ。
「選択のパラドックス」による期待値の上昇を裏付ける資料として、上でも取り上げた戦前の女性雑誌『婦人之友』の昭和8年(1933年)1月号の「婦人の結婚難を解消する方法」には、次のような記載がある。
結婚難は、年と共に深刻化して行くようですが、これは日本ばかりでなく、世界共通の悩みだと言われています。
これにはいろいろの原因もありましょうが、配偶者選択の範囲が著しく広くなって来たことも一つの原因であります。
昔は、同じ村の人とか、親類知人の範囲内で配偶者を選んだのですが、今日では交通や通信の便が開け、新聞雑誌で世間を見る目も開けてきましたので、そんな狭い範囲の選択だけでは満足できなくなりました。つまり、言えば理想が高くなったのです。
引用 「教科書には載っていない!戦前の日本」(太線は筆者による)
まさしく、バリー・シュワルツ教授が「選択のパラドックス」で主張した説、
選択肢が多く与えられると期待値が上がり、結果として人を不幸にする
と同じ現象が、今から80年以上も前の戦前の女性雑誌に指摘されていたのだ!
情報化社会が日本の婚活女性の期待値の上昇に拍車をかけた
村の中から村の外へと交流範囲が広がっただけで、日本の婚活女性の期待値が上がって、結婚難が生じたと、戦前の女性雑誌に取り上げられていた。
現代のような情報化社会においては、なおさらこの問題が大きくなるであろうことが容易に想像できるだろう。
実際、昨今のインターネットの急激な発達により、我々は事実上、世界中の人々と交流することが可能になった。
特に、FacebookやTwitterなどのSNSの発達は、美人でもないごく普通の女性にとって、天の上の存在ともいえた年収1000万以上の青年実業家やジャニーズ並みのイケメン男性を身近な存在にした。
また、Facebookを利用したPairs(ペアーズ)やOmiaiなどの恋愛・婚活マッチングサービスは、事実上、全国規模で結婚相手を選ぶことを可能にした。
これらはまさしく、現代の情報化社会の賜物といえるだろう。
全国規模で結婚相手を選べるようになった今、ごく普通の女子であっても、次のように考えるようになるのはむしろ当然といえるだろう。
「ひょっとして、フツーの女子のアタシでも、年収1000万の男と結婚できるかも?」
すなわち、インターネットとSNSの発達により、全国規模にまで選択肢が広がった結果、日本の婚活女性の期待値が著しく上昇したのだ。
なぜ婚活女性は「年収1000万円」にこだわるのか?
ところで、婚活女性がお題目のように掲げる「年収1000万円」という数字に、あなたはこれまで疑問を感じたことはないだろうか?
なぜなら、専業主婦になって子どもを私立に入れるなりして、裕福な生活を送ることを真剣に考えているのなら、年収1000万円では到底足りないからだ。
実際、年収1000万円では、都心で優雅な専業主婦をするのは厳しいというシミュレーション結果がある。
参考

また、年収1000万円以上の人の約7割が「贅沢」できない、「リッチ」ではないと回答している調査結果もある。
参考

それゆえ、裕福な生活を実現するためにお金を欲しようとするなら、年収1000万円では到底足りないのだ。
現代の日本において、我慢を一切強いられることなく、余裕のある生活をしたければ、最低でも2000万円は必要ではないだろうか?
だが、私の知る限り、年収2000万円以上という条件を求める婚活女性は、年収1000万円以上という条件を求める婚活女性よりも圧倒的に少ない。
それではなぜ、婚活市場において、年収1000万円という数字が現れるのか?
その理由は簡単だ。
日本の婚活女性にとって、承認要求が満たされる最低金額、それが年収1000万円に他ならないからだ!
彼女達にとって、いわば年収1000万以上というのは、裕福な生活に必要な額というのではなく、承認要求を満たすための一種の上がりのようなものなのだ。
女性のコミュニティにおいては、結婚相手の評価は即、彼女自身の評価につながる。
だが、コミュニティ内で承認要求を効率よく満たすには、周囲を納得させやすい、キリのいい数字が不可欠だ。
だからこそ、日本全国どこに行っても通用する「1000万円」というキリのいい数字が選ばれる。
そして、このように考えれば、金持ちになりたいわけでもなく、また貧乏な家庭で育ったわけでもない冒頭の優香さんのような女性が、年収1,000万円以上の男性にこだわる理由も容易に理解できるだろう。
なぜなら、彼女にとって、まわりの同じような価値観をもつ女性達から、
「え! 年収1,000万円の彼氏と結婚したの?
優香って、すごいね!」
と賞賛され、承認要求が満たされることが一番の目的であり、その目的さえ達成されるなら、裕福な生活など二の次にすぎないからだ。
要するに、彼女達は、ただ単に、承認要求を満たしたいだけなのだ!
「コンコルド効果」により引くに引けない婚活女性達
ところで、冒頭の優香さんは、32歳にもなって、いまだに年収1000万円以上の男性との結婚を夢見ているという。
しかしながら、その気になれば女性を選び放題の年収1000万円以上の30代の若手男性が、わざわざ好きこのんで30歳超の美人でもない普通の女性を結婚対象に選ぶだろうか?
一体なにが、優香さんをそこまで必死にさせるのだろうか?
実は、動物行動学において、「コンコルド効果」と呼ばれる心理現象が知られている。
コンコルド効果(サンクコスト効果とも呼ばれる)は、今までの投資分(金銭、時間、労力など)が無駄になるからと、そのまま続けても損失にしかならないことが明らかなのに、やめたくてもやめられない効果のことだ。
コンコルド効果のネーミングの元になったのは、世界初の超音速旅客機のコンコルドだ。
コンコルドは、あまりにも高すぎる開発費や維持費、燃費の悪さなどからプロジェクトの中止が検討されたが、それまで投入した予算や費やしてきた時間がすべて無駄になってしまうことから、ずるずるとプロジェクトを続けてしまい、結果として大赤字になってしまったことで知られている。
ここで、コンコルド効果の身近な例をいくつかあげてみよう。
「コンコルド効果」の身近な例
引用 ニコニコ大百科
今まで費やした課金額を無駄にしたくなくて、ネトゲやソシャゲがやめようにもやめられない
コンプリートガチャが、5つのうち4つまでアイテムが揃ったのに最後の1つが揃えられず、何としてもゲットしたくなる
見に行った映画が思いのほかつまらないけど、支払ったお金が勿体無くて結局最後まで見る
パチンコやギャンブルで負けが嵩んでいるにも関わらず、「元が取れなければ」「今までの負け分だけでも取り返さないと」と意地になってゲームを続行する
恋人と別れたいが、「もう数年付き合ってるしここで別れたら今までの時間が無駄になる」と、本心では別れたいのに付き合いをやめられない
また、その他の例として、
「オレは将来絶対ビッグになる!」といって、いつまでもデビューできずに売れない状態が長年続いているにも関わらず、辞めるに辞められない芸人やミュージシャン、漫画家の卵
などもあげられるだろう。
同様に、優香さんの事例も、コンコルド効果が働いて、あとに引けなくなってしまったと考えるのが妥当だろう。
その証拠に、彼女が潔く諦めて年収400万円の普通の男性と結婚したらどうなるだろうか?
おそらく、
「優香って、あれだけ頑張ったのに、結局年収1000万円の男性と結婚できなかったのねw」
「今までの努力は全部無駄だったのね。かわいそうw」
と、まわりの女性達から酒の肴として、散々いわれるのは目に見えているだろう。
当然、優香さんの肥大化しきった承認要求がそのような事態を許すはずもない。
だからこそ、彼女は30過ぎにもなっても、20代の若くて美しい女性達を競争相手に絶望的な戦いを強いられているのだ。
このように、
「みんなから認められたい!」
という承認要求に基づく婚活は、その由来のもとになったコンコルド・プロジェクトのごとく、最後には壊滅的な破滅を招くのだ。
肥大化した承認要求が人間の判断力を狂わせる元凶だ
年収1,000万円以上の男性のみを求める婚活女性達を支える主な動機は、お金持ちになることではなく(もちろん、多少はリッチになりたいという要求もあるだろうが)、それ以上に、承認要求のほうが圧倒的に上回っているといっても過言ではない。
実は、この手の承認要求は、就職活動に例えるとわかりやすい。
昨今の新卒の若者達が大企業にこだわり、中小企業に見向きもしないのは、ご存じだろう。
その理由としては、もちろん給与や労働環境などの待遇面もあるだろうが、
「誰もが知っている有名企業に採用された!」
と、友達や知人に自慢したいという側面も少なからずあるはずだ。
これも実のところ、仲間内で
「有名企業に受かったアイツは凄い奴だ!」
と認められたいがゆえの一種の承認要求といえるだろう。
逆に、実質的な待遇面でどんなに大企業よりも優れていたとしても、誰も知らないようなマイナーな中小企業に就職したら、少し肩身が狭い思いをする。
なぜなら、知名度が全くないので、友達から
「すげー!」
と言われることもなく、承認要求がまったく満たされないからだ。
このように、人間というものは、承認要求を満たすためなら、実より名をとる生き物なのだ。
その結果、どんなに待遇面の優れた超ホワイトな中小企業であっても、マイナーという理由だけで避けられ、逆に、労働環境が超絶ブラックな企業であっても、誰もが知っている有名企業という理由で、猫も杓子も殺到する。
そして、これとまさしく同じ現象が、日本の婚活女性にも起こっている。
実際、ネットワークとSNSの普及により、選択肢が全国レベルにまで広がった結果、期待値が極限まで増大し、カオナシのごとく肥大化した承認要求を抱え込む現代の婚活女性達は、自分たちが選ばれないと内心思いつつも、実より名をとるべく、なお年収1,000万円以上の男性を求めて不毛な婚活を続ける。
ここで、年収1000万円以上の30代男性の比率が1.5%しかないことを考慮すれば、彼女達の努力は、ちょうどコンプガチャに延々と大金をつぎ込み続けるオタクの姿に似ていなくもないもいえるだろう。
ただ、コンプガチャは時間と大金さえ投入すれば、いつかはかならず全アイテムをゲットできるが、年齢制限のある婚活市場ではそうもいかない。
だが、それにも関わらず、彼女達は、不毛な戦いを辞めようとしないのだ。
このように、肥大化した承認要求は、人間の判断力を狂わせるのだ。
悲しいことだが、これが今の日本の実情といえるだろう。
【まとめ】肥大化した承認要求の果てに救いはあるのか?
まとめとして、日本の婚活女性達が狂ってしまった流れを箇条書きで列挙すると、次のようになるだろう。
1.ネットワークとSNSの普及により、全国レベルで結婚相手を選べるようになった
2.選択肢の飛躍的な増大により、婚活女性の期待値が急上昇した
(「選択のパラドックス」の第3効果)
3.その結果、彼女達が求める結婚相手の最低年収は、戦前の10倍以上もの水準にまで跳ね上がった。
4.わずか1.5%の男性に多数の女性が殺到し、リアルコンプガチャ状態になった。
5.30代になるも、それまで費やした労力と時間から引くに引けなくなった(「コンコルド効果」)←イマココ
この流れを見ても分かるように、ネットワークとSNSの普及により選択肢が飛躍的に増大した結果、「選択のパラドックス」の第3原因により、婚活女性の期待値が急上昇したことが、年収が1,000万円以上にまで跳ね上がったそもそもの原因であることがわかるだろう。
すなわち、日本の婚活女性の承認要求が肥大化したのは、情報化社会がもたらした当然の帰結ともいえる。
だが、肥大化した承認要求の果てに救いはあるのだろうか?
答えはYESだ。
限りなく肥大化した承認要求が世界中を覆った後、やがて人々は、認められることに疲れるときが来るだろう。
認められることに疲れた人々は、周囲の情報をシャットアウトし、自らの意志で選択肢を狭めるようになる。
実際、ネットの情報をあえてシャットアウトして生活する情報ミニマリストの存在も報告されている。
なぜ、このようなことが起こるのか?
東洋哲学には、「陽極まれば陰に転化し、陰極まれば陽に転化する」という陰陽転化の法則が知られている。
また、哲学者のニーチェも「永劫回帰」という言葉で循環的な働きを表現した。
すなわち、この宇宙の現象は、直線的な変化ではなく、ちょうどDNAが螺旋構造を有するように、らせん状に循環しつつ一段上へ上へと上昇していくのだ。
もし、この世界がらせん状の変化をしているのなら、いつの日か、浦野すずのような無欲で素直な日本女性達が再び戻ってくる日が来るかもしれない。
というわけで、キミたちも、情報化社会がもたらした「選択のパラドックス」と「コンコルド効果」の罠に知らず知らずのうちに嵌まってしまっていないか気をつけつつ、充実したオタクライフを心から満喫するようにしてほしい!
オタクパパより愛を込めて!
コメント
コメント一覧 (4件)
記事が長過ぎて読みにくい!
コメントありがとうございます。
やっぱり長過ぎますよね・・・
おいおい分割して短くします。
貴重なご意見ありがとうございました!
ちと粗いが、なかなか面白い考察でした!笑
文書もうまいっすね!
また来ます!
コメントありがとうございます!
ポジティブなコメントをもらえて、とても励みになります。
更新のペースが亀並みに遅いものの、1つ1つの記事は魂が削られるくらい全身全霊を込めて書いているので、反響がもらえると嬉しいですね。
また、訪問していただけるとはありがたいです!
ありがとうございました!