黒歴史

重度のコミュ障が陽気なキャラを演じた結果、世界が激変した話

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親愛なる読者諸君!

オタクパパだ!

 

よく、成功哲学などで

「自分が変われば

 相手も変わる」

といわれている。

 

この言葉はもともと、意識の流れの理論を提唱したアメリカの哲学者・心理学者ウィリアム・ジェームズの言葉やヒンズー教の教えの中にも見られるそうだ。

ウィリアム・ジェームズ(1842-1910)

ここで、

「そんなうまい話

 あるわけねーだろ!」

と思われる方も多いかもしれない。

 

だが、実をいうと、私自身、この言葉を裏付けるような体験をしている。

 

私は子供の頃から、周囲とまともにコミュニケーションできない

重度のコミュ障

であり、そのせいか、

数十年生きてきて

友達ゼロ

の人生を歩んできた。

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そんなコミュ障の私だが、いっときコミュ障の本性を隠して、

陽気なキャラを演じ

世界が激変した

ことがあった。

 

というわけで、「自分が変われば、本当に周囲も変わる」という成功哲学の言葉が本当なのか、

私自身の劇的な実体験

を紹介したい。

子供の頃から重度のコミュ障だった私の黒歴史

 

私は、子供の頃から重度のコミュ障だった。

 

私を含む3人以上のメンバーが集まって会話するとき、気がつくと、私は黙ったまま、他のメンバーだけで会話のやりとりをするということが少なくなかった。

 

そのため、会議が終わったあと、上司や取引先の相手から

「オタクパパさん

 さっきから

 黙ってばかりで

 全然話さないね?」

と、呆れて指摘されることも多かった。

 

また、2人きりで会話すると、必ずといっていいほど、話題につまって長時間の沈黙状態になるため、相手が不安になってオロオロしてしまうことも多々あった。

 

さらに、私はどういうわけか、初対面の相手だけでなく、

旧知の知り合いに対しても

人見知りを発動してしまう

ことがある。

 

例えば、トイレなどで、たまたま昔からの知り合いに出会った際に突如、人見知りを発動した結果、まったく喋らないまま、トイレを先に済ませて、逃げるように出て行くこともしょっちゅうだった。

 

その結果、私のそっけない振る舞いにとまどった相手から

「ちょっと! 

 オタクパパさん!

 

 どうしてそんなに

 よそよそしいんだよ?

 

 ひょっとしてオレ

 なんか悪いことした

 

 無視しないで

 なんか言ってよ!?」

と、不安そうに声をかけられることも何度もあった。

 

また、路上やエレベーター待ちで知り合いにばったり出くわしたときも、わざと気づいていないふりをして、スマホの画面を眺めることも、しょっちゅうだった。

 

そのため、後で

「オタクパパさん!

 さっき会ったとき

 無視したでしょ?」

と、非難されることもしょっちゅうだった。

 

さらに、日常の会話に限らず、

私のコミュ障は

メールやSNSなどの

文章のやりとりでも

発動してしまう

ことも多い。

 

どういうわけか、メールなどの文章に、私への悪口や非難の言葉が書かれているように勝手に妄想してしまい、どうにも恐ろしくて文章を読むのが怖くなってしまうのだ。

 

このように、私は、頭の中では分かっていても、

コミュ障が発動すると

日常会話だけでなく

メールなどのやりとりも

一切できなくなってしまう

という、自分から見ても、とても難儀な性格の持ち主だった。

重度のコミュ障が陽気なキャラを演じるようになったきっかけ

そんな重度のコミュ障の私だったが、一度だけ、

コミュ障な本性を隠して

陽気なキャラを演じきった

ことがある。

 

そもそものきっかけは、長期入院だった。

私は、子供の頃から虚弱体質で、どこかしら身体に不具合があり、いつも咳をゴホゴホさせていた、ひ弱な人間だった。

 

だが、20歳になるかならないかの頃に身体が悪化して、とうとう大学病院に入院するハメになってしまったのだ。

 

入院経験のある人なら分かると思うが、病院という場所は、とにかく退屈なところだ。

 

入院した当初は、

「やった!

 大好きな漫画が

 たくさん読める!」

と喜び、兄から借りた「うる星やつら」や「じゃりん子チエ」などの昔の長編漫画を全巻持ち込んで読みまくっていた。

 

だが、そのうち漫画を読むことすら、いいかげん飽き飽きしてしまった。

 

私と同じ病棟にいた患者たちは、これまた退屈そうに、日がな一日ボーッとして過ごしているか、あるいは、野球中継などのTV番組をだらだら見て過ごしているかのどちらかだった。

「退屈すぎて

 つまんねー!」

あまりに退屈すぎるので、私は担当の医者にかけあい、いつ出られるか何度も尋ねた。

 

だが、担当の先生は、とても深刻そうな顔をして、

担当医

「残念だけど

 キミの病気はね

 

 現代の医学では

 まだ治療法が

 確立されていなくて

 治すのがとても

 難しいんだ

 

 だから1年2年経過を見て

 じっくり治療をしようね

といわれたものだった。

「1年2年って!

 ちょ!

 それって・・・

 オレの人生終わり

 ってこと!?」

まだ二十歳になるかならないかの若者にとって、1年や2年も病院で治療するなど、まさしく絶望以外の何ものでもなかった。

 

だが、同じ病棟を見ると、どことなく

終末感あふれる

患者だらけだった

 

実際、同じ病棟には、私のような若者は少なく、若くても40代から50代、それ以上の年齢の老人が多かった。

 

例えば、私と同じ部屋にいた気のいいオッチャンは、いったい何の病気なのか、始終寝たきりで、尿を足すのにも、ナースコールで看護婦を呼ばなければならないほどの重体だった。

 

また、まったく目が見えないのか、目の焦点が定まらず、看護師の世話がなければ何もできない植物人間のような人もいた。

 

さらに、20年以上もの間、保険だけで生きているという人もいた。

 

要するに、私の病気はそれほど深刻だったのだ。

 

実際、私の病気は

10万人に1人

くらいの割合で発症するものらしく、大変珍しいケースとして、大学病院の研究員らしき医者?から何度もヒアリングを受けることもあったほどだ。

 

当時の私は若いながらも、想像以上に事態が深刻であることに気づいた。

「ひょっとしてオレ

 一生このまま病院の中で

 生きるのかよ!?」

同じ病棟で20年以上もの間、保険だけで生きている人を見て、私が絶望したのはいうまでもない。

 

実際、その大学病院の入院治療費はかなり高額だったが、私自身にも保険が全額おりていた

 

当時の私はまさしく

絶望の淵にあった

のだ!

 

だが、当時の私にとって、退屈こそが一番の問題だった。

 

そんなある日、私はいつものように、なにか退屈を紛らわすものがないかと、リビングに置かれた本をまさぐっていた。

 

そんなとき、私はリビングの収納箱の奥の方に、任天堂のトランプカードと花札を見つけた。

「お! 

 トランプと花札!

 

 やった!

 これでゲームが

 できるぜ!」

私は一人ガッツポーズをした。

 

だが、問題は、カードゲームをプレイするには、複数のプレイヤーが必要という点だった。

 

私は、病棟の中を見回した。

 

そこには、患者たちが退屈そうに暇を持て余している。

 

私は、同じ病棟の患者たちをゲーム仲間に引き入れることができないか思案してみた。

 

意外に思われるかもないと思うが、コミュ障の人間は、一度きりしか会うことのない人間に対しては、コミュ障を発動することは少ない

 

例えば、コミュ障の人間は、旅行などでたまたま出会って一緒に行動するも、その後、二度と会わないような人間に対しては、信じられないほど明るく、積極的に振る舞うことができる

 

要するに、コミュ障の人間は、

後腐れのない

人間に対しては

コミュ障が発動しにくい

のだ。

 

一方、コミュ障の人間は、

長期間のコミュニケーション

を要求される相手に対しては

コミュ障が発動しやすい

 

実際、コミュ障の人間は、誰かと友達になったのはいいものの、そのうち共通の話題がなくなって次第に会話ができなくなり、最後は無口になって相手から失望されて終わるパターンが圧倒的に多い。

 

それゆえ、コミュ障だからといって、どんな場合でも相手と会話ができないわけではない。

 

コミュ障の人間は、相手のために始終、話題を提供し続ける労力を費やすのがとにかく苦痛のため、長期間のコミュニケーションを維持することができないだけだ。

 

それゆえ、コミュ障の人間は、

後腐れのない相手なら

いくらでも積極的に

会話できる

のだ。

 

当時の私は、担当医がなんといおうと、一生病院に居続けるつもりはなかった。

「どうせ、退院したら

 人間関係も

 リセットされるし

 

 一生コミュニケーションを

 とり続けなくてもいいから

 ある意味ラクだろ!」

そんな風にさえも考えていた。

 

だが、何よりも、ゲームをプレイするメンバーを集めなければ、退屈のあまり精神が麻痺してしまいそうだった。

 

だから、私は、ゲームのプレイ仲間を集めるべく、老若男女問わず、片っ端から同じ病棟の人達に話しかけることにした

陽気なキャラをひたすら演じまくった結果

私がとった方法は単純だった。

 

いつものように、リビングでの夕食が終わった後、ひたすらハイテンションで出会った人間に片っ端から

「みっなさーん!

 これからゲーム大会

 をやりますよおー!

 

 ボクと一緒にゲームを

 やりませんかー!!」

と、笑顔いっぱいに話しかけて、カードゲーム大会に誘ったのだ。

 

患者たちが何ごとかと顔を見合わせたのはいうまでもない。

 

年配の人たちは、異常なハイテンションで微笑みかける私に対し

「い・・・いや

 ・・・(長い沈黙)

 遠慮しておくよ」

と、まるで

異次元世界の

クリーチャー

でも見ているかのような、半ば引きつった笑顔で、リビングから逃げるように去っていた。

 

彼らは、突然変異した私を見て、

なんだコイツ?

と、気味悪く思ったのかもしれない。

 

だが、完全に開き直った私は、多くの人にむげなく断われつつも、それでもめげずに声をかけつづけた。

 

そんなかいあってか、その日は、十数人ほどのメンバーが集まった。

 

上は50代後半くらいのオッチャンから、下は十代くらいの若者までの男女の雑多な集まりだった。

 

私の呼びかけに、これだけの人数が応じたということは、彼らもそれだけ、長い入院生活に退屈していたのだろう。

 

食事用のテーブルをみんなで片付けた後、任天堂のトランプカードをシャッフルする私に、Sさんが話しかけてきた。

Sさん

「で、何をするの?」

Sさんは、入院前はタクシーの運転手をしていたという50代後半くらいの男性だった。

「そうですね

 それじゃとりあえず

 七ならべを

 やりましょうか?」

というわけで、大人数でカードゲーム大会に興じることになった。

その日プレイしたゲームは、七並べやババ抜き、大富豪、神経衰弱などのスタンダードなものだったが、ゲーム大会は好評のうちに終わった。

元タクシー運転手のSさん

これがきっかけとなって、私は、元タクシー運転手のSさんとよく会話するようになった。

Sさん

「キミ、まだ若いけど、

 なんでこんなところに

 いるの?」

私は、自分が入院するまでに至った事情をSさんに説明した。

Sさん

「そうか、若いのに

 大変なんだね」

Sさんによると、彼にも私と同年代の息子が2人いるという。

Sさん

「俺は結婚が遅かったから

 君と同じくらいの

 息子が二人いるんだ

 

 だから、君を見ていると

 人ごとに思えず

 不憫でならなくてね」

そういって、Sさんは、2人の息子にパソコンを買い与えたところ、ゲームばかりしてちっとも勉強しないとか、家族を養わないといけないのに、医者からもう治る見込みがないと言われて、正直困っているとか、さまざまなプライベートな話を私に打ち明けてくれた。

「そうですか

 お互い大変ですね」

このように、年齢差が父親と息子ほどもあるにもかかわらず、いつの間にか、私はSさんと親しく会話する関係になった。

27歳の結婚願望の強い女性Kさん

また、27歳になるという、影の薄い女性のKさんとも、よく会話するようになった。

 

Kさんと知り合ったのは、私がたまたまリビングで見つけた少女漫画雑誌の「りぼん」をむさぼるようにして読みふけっていたときだ。

 

突然、Kさんから

「きみ、それ

 女の子向けの

 雑誌でしょ?

 

 なんで男が

 そんなの

 読んでいるのよ??」

と、宇宙人を見るような目つきで

キモ男認定された

のが、そもそものきっかけだった。

 

そんな、ヒロインへの第一印象が最悪で始まる一時期の工口ゲーテンプレのような出会いだったが、トランプで一緒に遊んでいるうちに、私はいつしかKさんの良き相談相手になっていた。

 

Kさんは、強い結婚願望があり、私に悩みをよく打ち明けてくれた。

Kさん

「私、もうすぐ

 30になるのに

 まだ治療が必要だからって

 先生が病院から

 出してくれないの!

 

 こんなところにいたら

 私、もう一生

 結婚できない!」

そういって、Kさんは、泣きながら私に訴えたものだ。

 

私はどうすればいいか途方にくれつつも、

「そうですか

 でもきっと病気は

 治ると思います!

 

 だからKさんも

 諦めないでください!」

といって、Kさんを励ました。

 

だが、正直なところ、私自身でさえも、はたして無事に退院して外に出られる日が来るのか、不安でいっぱいだった。

 

今となれば、Kさんに適当なことをいって、大変申し訳ないことをしたと思う。

年齢不詳の元ヤ●ザのHさん

夕食後のゲーム大会は大盛況で、実に多彩なメンバーが集まった。

 

その中でも、特に印象的だった人は、

元ヤ●ザのHさん

だった。

 

ある晩、みんなで任天堂の花札で遊んでいると、強面のオッサンが橫からしゃしゃり出てきて、

Hさん

「なんやコレ?

 知らんルールやな?

 

 なんやふつうの花札と

 違うんとちゃうか?」

と文句を言ってきた。

私は、花札の詳しいルールを知らなかったので、昔、花札で遊んだことがあるという中年の男性からルールを教えてもらい、そのとおりにプレイしていたのだ。

 

だが、そのルールがHさんの気に入らなかったらしい。

Hさん

「おまえ、それ

 朝鮮カブやろ!

 

 日本人がチョンの遊び

 やってどないすんねん!

 

 おまえ、アホちゃうか?

 

 日本人のくせに

 朝鮮カブなんぞ

 やりくさってからに

 

 ほんま

 ケッタイな奴が

 おるもんや!」

と、散々ボロクソに言ってきた。

 

私はむきになって反論しようと思ったが、Hさんが鋭い目つきで、

Hさん

「なんや、おまえ

 文句あんのかコラ?」

と、睨み付けてきたので、瞬時に思いとどまった。

 

とたんに素直になった私を見て、Hさんは、ドヤ顔でいった。

Hさん

「おまえチョンか?

 

 チョンと

 ちゃうんやったら

 

 日本人らしく

 普通の花札をせんかい!」

というわけで、その晩からHさんがゲーム仲間に加わった。

 

Hさんは、元ヤ●ザだけあって、病棟内でも怖い人間としてとおっていた。

 

ある日、女性看護師に文句をいっているHさんを見かけたことがあった。

Hさん

「おまえら、いつまで

 ワシをこんなところに

 閉じ込めとるんじゃ!

 

 ええ加減、

 ここから出さんかい!

 

 てめえのドタマ

 かち割るぞ

 こらぁっ!!

そういって、Hさんは、恐怖に怯える女性看護師の首筋を片手でつかんで締め上げていた。

 

その様子を見て、みんな慌ててHさんを止めにいったほどだ。

 

ここで、誤解のないように書いておくが、Hさんは、自分が元ヤ●ザだとか暴●団に属していたとか、自分から告白したことは一度もない

 

だが、Hさんが正真正銘の元ヤ●ザであることは、その独特の目つきや言動や立ち居振る舞い、そして、機嫌のいいときに、ときおり話す、

妙にリアルな昔話

の内容からも明らかだった。

 

年配の人たちは独特の嗅覚を有しているのか、それともHさんのヤバイ雰囲気を察してなのか、Hさんを見かけると、避けるようにして素早く部屋の中に逃げ込んで寝たふりをして、Hさんに関わろうとすらしなかった。

 

そんなこともあって、Hさんは長い入院生活で、気軽に話せる話相手に困っていたのかもしれない。

 

だから、花札で一緒に遊ぶうちに、いつしか私は

元ヤ●ザのHさんと

自然に話せる関係

にまでなっていた。

 

そんなある日、ふとしたことから、Hさんと

拳銃の話

になった。

 

もともと、私は、物心ついたときから

戦争大好き少年

で、暇さえあれば、戦争映画や漫画を見て、「戦車マガジン」「アームズマガジン」などのミリタリー雑誌をむさぼるようにして読みふける、心が病んだ少年だった。

 

そんな

軍オタという

宿業(カルマ)

を背負った私は、たまたまそっち方面に興味のあったKさんと、ドイツ製のモーゼルC96ルガーP08イスラエル製のウージー・サブマシンガンなどの往年の銃器の話をしていて、盛り上がっていた。

 

そして、私が初めて購入したエアーガンが、チェコ製のCz75という自動式拳銃だったという話をしていたときに、突然Hさんが横から会話に割って入って来たのだ。

 

Hさんは、いかにも興味しんしんといった目つきで、親しげに話しかけてきた。

Hさん

「なんやオマエラ!

 拳銃の話か?

 懐かしいな

 

 ワシも若い頃は

 よう拳銃を

 撃っとったもんや!」

Hさんの突然の告白を聞いて、私とKさんは驚きのあまり、思わず顔を見合わせた。

「え? Hさん

 もしかして

 本物の拳銃を撃った

 ことがあるんですか?」

私がおそるおそる言うと、Hさんは待っていたとばかりに、自慢げに話しはじめた。

Hさん

「もちろんや!

 

 昔、ワシの事務所に

 密売人が出入りしとってな

 

 これくらいのサイズの

 スーツケースを

 もってきよってな

 ぱっと開けるんや!

 

 そしたら見てみい!

 

 いろんな拳銃が

 ズラっと並んどって

 ちょっとした

 壮観やったで!」

私は思わず、Hさんが銃を持っているシーンを想像してしまった。

まったく違和感がない

のが怖すぎた・・・

Hさん

「やっぱワシは

 あの瞬間がいちばん

 胸が熱くなるな!」

Hさんは、まるで少年のように目を輝かせて、遠い昔の日々を思い出すように微笑みながら、幸せそうに語った。

 

ここで、Hさんは突然、私に話をふった。

Hさん

「そういえば、おまえ

 銃に詳しいんか?」

「まあ、昔

 『GUN』とか

 『アームズマガジン』とか

 愛読していたもので

銃が大好き

 なんですよ!」

本当は、

兵器全般が大好き

だったが、そのことは伏せておいた。

Hさん

「そうか!

 やっぱり、

 拳銃はええよなあ!

 

 拳銃は男のロマン

 や!」

「は? 

 男のロマンって・・・」

Hさん

「男なら分かるやろ!」

そういって、Hさんは、私の背中をてのひらで強く叩いた。

 

私は、Hさんに尋ねてみた。

「Hさんは、

 どんな銃が

 好きなんですか?

 

 やっぱりトカレフ

 とかですか?」

このように尋ねたのは、その昔、ヤ●ザの事務所には、もっぱらトカレフやマカロフが流通していたという話をどこかで聞いたことがあったからだ。

(↓)トカレフTT-33

出典 ロシア語版ウィキペディアSONYさん

Hさん

「まあ、たしかに

 まわりの連中は

 中国製のトカレフ

 をもっとる奴が

 多かったな

 

 だが、ワシは

チャンコロの銃は

信用ならんから

 好かんかったわ!」

そういって、Hさんは笑った。

「それじゃ、

 何が好きなんですか?」

すると、突然、Hさんは目を輝かせた。

Hさん

「知っとるか?

 

 スミス・アンド・

 ウェッソンちゅう

 リボルバーや!

(↓)S&W M19

「あ! 

 知ってます!

 

 中学生の頃

 説明書を見ずに

 自力で組み立てる練習

 していましたから!」

私は、かつて「ルパン三世」のエピソードで、次元がスペインかどこかの国境に向かいながら、リボルバーの部品を1つ1つ拾って組み立てるシーンを見て興奮し、その影響で、リボルバーのモデルガンを自力で組み立てる練習をしていたことがあったのだ。

 

Hさんは、目をまん丸くして、私に聞き返した。

Hさん

「は? なんやて?

 おまえリボルバーを

 組み立てたこと

 あるんか?

 

 あんなもん

 そうそう簡単に

 組み立てられる

 わけないやろ?

 

 ウソもたいがいに

 せえや!」

Hさんが睨んできたので、私は慌ててフォローした。

「あ、いえ、

 本物じゃなくて

 モデルガン

 ですけど・・・」

Hさん

「なんや?

 オモチャの話かいな!

 

 おまえなあ!

 オモチャの拳銃やのうて

 本物の話をせんかい!」

そういって、Hさんは、思い切り私の背中を叩いた。

 

本物の拳銃の話

なんてできるわけ

ねーだろ!!

と、内心思ったが、口に出さないでおいた。

 

ここで、Hさんは、何を思ったのか、

Hさん

「それで、おまえは

 どんな銃が

 好きなんや?」

と、話しかけてきた。

 

私は、ドイツ軍のシュマイザーMG34などの機関銃が大好きだったので、

「そうですねえ

 人生で一度でいいから、

 機関銃を撃ってみたいです」

と、軽い気持ちで答えた。

 

すると、驚いたことに、Hさんは突然、顔を真っ赤にして、

Hさん

「あ?

 機関銃やと!?

 

 アホか!

   おまえはっ!

と、怒鳴りつけた。

 

私は、Hさんから突然怒鳴られたことに戸惑った。

 

Hさんはつづけた。

Hさん

「ええか?

 フルオートの銃はなあ

 日本では

 所持するだけで

 無期懲役なんや!」

私は驚いた。

「え? 

 所持するだけで

 無期懲役って!

 えげつないですね」

Hさんは、呆れたように首を小さくふった。

Hさん

「えげつないも何も

 判決でそう決まって

 しもうたから

 しゃあないやろ!

 

 だからワシは

 どんなことがあっても

 フルオートには絶対に

 手えつけへんかったんや!

 

 なんぜ警察に

 見つかったとたん

 無期懲役やからな!

 

 密売人のやつらは

 アホやから

 カラシニコフやら

 ウージーやら

 フルオートをばんばん

 ワシらに売りつけて

 きよるけどな・・・」

(↓)AK-47 カラシニコフ

(↓)ウージー・サブマシンガン

Hさん

「アイツらはまったく

 勉強もせえへんし

 アホやから

 日本の法律を

 全然知らんのや!

 

 よう考えてみい!

 

 フルオート

 所持するだけで

 無期懲役になったら

 アホやろ!

 

 そんなもんは

 三下のチンピラが

 やることや!

 

 ワシらは法律を

 勉強しとるから

 足がつかん! 

 

 だから、警察も

 簡単にワシらに

 手え出せへんのや!」

私は、Hさんの話に思わず聞き入ってしまった。

 

なるほど、チンピラと違って

最近のヤ●ザは

法律を勉強する

のか・・・。

感心して話に聞き入る私を見て、Hさんは、小さくため息をついた。

Hさん

「おまえなあ、

 学生やろ?

 

 学生やったら

 ちょっとは、

 日本の法律を

 勉強せんかい!

 

 おまえ

 いったい学校で何を

 習ってきたんや?

 

 そんな世間知らずで

 これまでよう

 生きてこれたなあ?

 

 ほんま、アホちゃうか?」

フルオートの機関銃を

所持するだけで

無期懲役なんて知識

日本の学校では

教わらないんですけど

と、言い返したくなる衝動を、私が必死でこらえたのは言うまでもない。

このように、重度のコミュ障の本性をもつ私だったが、陽気なキャラをひたすら演じた結果、

父親ほどの年齢のオッチャンと仲良くなったり

美人のお姉さんの悩みの相談役になったり

元ヤ●ザの人とさえも普通に会話したり

まさしく世界が

激変した

のだ!

 

もし、重度のコミュ障のままであれば、彼らのような人々と、永遠に関わることはなかっただろう。

 

その後、私は、予定よりも早く退院することになった、

 

ドイツで新しく開発されたばかりの新薬の投与を希望した結果、それまで思わしくなかった病状が劇的に改善したのだ。

 

もちろん、開発されたばかりの薬なので、その副作用には凄まじいものがあった。

 

だが、一刻も早く病院を出たかった私は、副作用にも必死で耐え抜き、とうとう退院できるまでになったのだ。

 

担当医も新薬の威力に

「奇跡だ!!」

と驚いたほどだ。

 

私の両親も、もう私がダメだとすっかり諦めていたので、退院をとても喜んでくれた。

 

退院が決まった日、私はそれまでお世話になった人たちに別れの挨拶を言いにいった。

 

私が退院することを知ると、彼らはみな、私との別れを惜しんでくれた。

「そうか

 君がいなくなると

 この病院もまた

 さみしくなるね」

「もう一緒にゲームが

 できなくなるよね」

また、担当医や看護師も、私が退院するのを喜ぶとともに、とても名残惜しそうだった。

 

特に、担当医は、

「君が来てくれたおかげで

 ここの雰囲気が

 とても明るくなって

 みんな生き生きするように

 なって本当に驚いたよ!

 

 君は年齢に関係なく

 誰とでも分け隔てなく

 対等に話ができるしね

 

 退院後は大変だと思うけど

 君ほどの積極性あったら

 絶対どこにいっても

 やっていけると思うから

 自信をもっていい!

とほめてくれた。

「みなさん!

 これまで大変

 お世話になりました!」

私はみんなに別れを告げて病院を後にした。

 

このように、重度のコミュ障だった私は、誰にも分け隔てなくこちらから積極的に話しかけた結果、どんな人間とも仲良くなれる人間になって、世界が激変した。

 

そういう意味で、私は、

「自分が変われば

 相手も変わる」

という、ウィリアム・ジェームズの言葉を身をもって体感したのだ!

 

よく

「他人は自分の鏡」

といわれるが、これは真実だ。

 

だから、諸君も、

「オレがこんな人生

 を歩んでいるのは、

 周囲の環境が

 悪いからだ!」

と、何でも周囲の環境のせいにするのではなく、

「そうか!

 オレが変われば

 周囲の環境も

 変わるんだ!」

と思って、積極的になってみることをお勧めする。

 

そうすれば、かつての私のように

あなたの世界も

激変する

ことは、私自身の経験からいっても保証する。

 

オタクパパより愛を込めて!

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