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重度の現役コミュ障が語る!コミュ障こそ結婚すべき3つの理由

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親愛なる読者諸君!

オタクパパだ!

 

ここ最近、東京などの都市圏を中心に独身の中年が増えたためか、

「べつに結婚せずに

 一生独身のままでも

 楽しく生きられるんじゃね?」

という新たな価値観が生まれつつあるようだ。

 

このような価値観の多様化は、むしろ歓迎すべき流れともいえる。

 

一方、次のようなネガティブな動機から、一生独身の人生を選択する人もいるかもしれない。

「子供の頃からコミュ障で

 人付き合いとか苦手だし

 ましてや、赤の他人と

 暮らすなんてありえない。

 だから一生独身でいいよ・・・」

実を言うと、私自身、子供の頃から重度のコミュ障で、人付きあいが大の苦手だったため、若い頃はこのように考えていたこともある。

 

だが、上のようなネガティブな動機から、一生独身の人生を選択するのは、正直もったいないと思う。

 

なぜなら、コミュ障であっても、良きパートナーに恵まれれば、幸せな結婚をすることが可能だからだ。

 

また、コミュ障が結婚せずに、一生独身を通した場合のリスクは、想像以上に大きいのも事実だ。

 

というわけで、今回は、重度のコミュ障の私が歩んできた黒歴史をもとに、

コミュ障こそ

結婚すべき理由

について語りたいと思う。

小学生の頃から重度のコミュ障だった私の黒歴史

存在感ゼロの黒子キャラだった少年時代

このブログを読んでくださっている読者のみなさんからすれば、私は、至極饒舌な男のような印象をもっておられる方も多いかもしれない。

 

だが、現実はまったくの逆で、私は、

リアル世界では、重度のコミュ障だ。

 

実際、小学生の頃の私は、無口で影が薄く、存在感が皆無の少年だった。

 

クラスでは、あまりに存在感がなさすぎるため、存在自体を忘れ去られることが多かった。

 

例えば、ときたまクラスメートに声をかけると、

「うわ! びっくりした!

 おまえいつの間に

 背後にいたんだよ!?」

と、クラスメートは、顔面蒼白になって振り返ったものだ。

 

それも一度や二度ではない。

毎回のように起こるのだ。

 

「週刊少年ジャンプ」のマンガ「黒子のバスケ」の主人公に、黒子テツヤという、異常なまでに存在感の薄い少年が登場する。

私は、この黒子テツヤと同じく、あまりに存在感がないため、その場に存在しているという気配すら感じられないような「ステルス能力」をもった少年だったのだ。

 

そのため、当時の私は、アサシンや忍者、スナイパーなど、気配を隠して相手を一発で仕留める職業のほうが、むしろ向いているのではないかと真剣に悩んだほどだ。

日本特有のファシスト集団主義になじめず苦しんだ日々

一人ナチス式敬礼をしないアウグスト・ランドメッサーの写真。ランドメッサーのように、わたしも集団主義に迎合せず、自分の心に正直に生きたいものだ。

少年時代の私は、身体がそれほど強くなく、年がら年中、ゴホゴホと咳をしている、ひ弱で病弱な少年だった。

 

顔色も悪く、いつも肌が青白かったので、クラスメートからは

「外人」

「幽霊」

などという、不名誉なあだ名もつけられたほどだ。

 

それに加えて、私は、日本特有の集団主義になじめなかった。

 

クラスの空気を読んで、まわりのクラスメートに合わせて生きるというのが、どうにも理解できなかったのだ。

「人は人!

 オレはオレだろ!

 なんで他人に合わせないと

 いけないんだよ?」

そういう考え方だったから、ジャイアンのようなガキ大将から、

 

のび太オタクパパのくせに

 生意気だ!」

と、あからさまなイジメこそはなかったものの、いつもクラスの輪から外されていた。

敵だらけの土地にたった一人だけ取り残された絶望感

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エネミー・ライン (字幕版)

私が生まれ育った地域には、陰惨な戦争の歴史があった。

 

私が小学校に入学して、はじめての遠足で近くの山に行ったとき、小学校の教師から聞いた話によると、私が住んでいた地域は、戦争中にアメリカ軍のB-29爆撃機に爆弾を投下されてたくさんの人が亡くなったそうだ。

 

その山には、当時、簡易病院があり、患者もたくさんいたのにも関わらず、B-29が無差別爆撃をして、患者や医療スタッフがたくさん亡くなったと、教師が暗い表情で話していたことを、今でも鮮明に覚えている。

 

実際、その山には、当時の爆撃でできた大きな穴がたくさん残っていて、私はクラスメートと一緒に、それらの穴をおそるおそるのぞき込んだものだ。

 

教師から聞いた過去の戦争の陰惨な話もあってか、子供たちの間では、その山は「がいこつ山」と呼ばれるようになっていた。

 

そんな地域の暗い歴史を知った私は、集団主義になじめずに、クラスメートの中でたった一人、取り残されていた疎外感もあって、いつしか次のような妄想を抱くようになった。

「オレの前世は日本人ではなく

 日本を爆撃しに来た

 B-29の乗組員のアメリカ兵で

 この地域を爆撃中に

 エンジントラブルで墜落して

 パラシュートで脱出したところを

 竹槍をもった日本人に

 追い詰められて

 処刑されたんだ!

このような妄想を抱くことで、当時の私は、日本人特有の集団生活になじめず、「外人」と呼ばれて、クラスからいつも孤立していた理由を子供なりに説明しようとしたのだ。

 

実際、日本の集団主義にいつも違和感があった私の心境は、まさしく敵地のまっただ中にたった一人、パラシュートで降下した孤独な兵士のような絶望感だったのだ。

孤独すぎて空想の友達・イマジナリーフレンドと遊ぶ

クラスでいつも孤立していたためか、私はいつしか空想の中で、架空の友達を作って、彼らに話しかけるようにもなった。

 

これは、

イマジナリーフレンド

(空想の友人)

として知られる心理学の現象だそうだが、私は空想の中で3人の架空の友人を作り上げ、彼らには名前もついていた。

 

そして、孤独な私は、彼らに話しかけては、彼らと一緒にゲームなどで遊ぶようになったのだ。

 

そんなある日、いつものように3人のイマジナリーフレンドと一緒にゲームをして楽しく遊んでいると、学校から帰ってきた兄が、私の部屋の扉をいきなり開けたことがあった。

 

兄は、私の部屋を見るや、不思議そうな顔をして、私にこう尋ねた。

兄「あれ? さっき

  友達と楽しそうに

  話している声がしたけど

  おまえ一人だけか?」

そういって、兄は気味悪そうな顔をして、私の部屋の中をキョロキョロと見回したものだ。

 

なお、この3人のイマジナリーフレンドは、のちに男女あわせて12人に増え、私を含めた13人で会議を開けるほどにもなったが、それについては、別の記事で述べたいと思う。

誰とも「ペア」を組めなかった恐怖のイベント

少年時代の私は、クラスではいつも空気扱いされ、あまりの孤独さに人生の大部分を空想の世界で生きることが多かった。

 

だが、そんな私にとって一番の恐怖が、体育の時間などの、クラスメートとペアを組む強制イベントだった。

 

というのも、先生から

「自由にペアを組んでください」

といわれたとき、私は必ずといっていいほど、クラスの誰からも相手にされず、おろおろと一人たたずんで孤立するのが常だったからだ。

 

そんな感じだったから、修学旅行などのグループ分けも、私にとっては恐怖のイベントだった。

少年時代のトラウマから大人になっても重度のコミュ障のまま

当時のコミュ障体質は、大人になった今でも健在だ。

 

実際、いまでもTwitterやFacebookなどのSNSで、知らない人から連絡が来ると、心が震えて怖くて通知が見ることができないのだ。

 

例えば、Facebookで、

「オタクパパさん、Facebookで大勢の友人が待っています」

「99のメッセージがあります」

というメールがしょっちゅう来るが、そのたびに、少年時代のトラウマの日々が記憶によみがえり、

うわあああああっっ!

とパニックになってしまうのだ。

また、仕事の打ち合わせの際も、始終無言のまま会話にまったく加わらないため、後で上司から

「キミ、さっきから

 ひと言もしゃべらないね」

と、指摘されることもしょっちゅうだ。

 

こんなことを書くと、

「そんなに重度のコミュ障なら

 結婚したらなおさら

 パートナーと毎日会話

 しないといけないだろ!

 地獄じゃねーか!」

という、ツッコミを多数いただくかもしれない。

 

だが、事実は逆だ。

 

むしろ、私のような重度のコミュ障は、一生独身でいることのリスクがあまりにも大きいので、なるべく若いうちに自然に会話ができる良きパートナーを見つけるべきなのだ。

 

以下、その理由を説明しよう。

【理由1】普通のオタク同士の交流は30代前半までが限界

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げんしけん(2) (アフタヌーンコミックス)

少年時代の私はコミュ障だったが、それでも、大学時代や20代はそれなりに充実していた。

 

なぜなら、アニメやマンガ、ゲームなどのオタク趣味は、基本的に話相手がいなくてもノープロブレムだからだ。

 

また、20代〜30代前半までの若い頃であれば、マンガ「げんしけん」(木尾士目、講談社)で描かれたような大学のオタク系サークルや、社会人サークルなどに所属すれば、自分と同じ趣味の仲間を見つけやすく、話相手に事欠かないため、さみしい思いもせずに済む。

 

だが、業界人でもない、ごく普通のアマチュアオタクにとって問題が生じるのは、30代も後半を過ぎたあたりからだ。

 

なぜなら、オタク系の社会人サークルのメンバーは、地域にもよると思うが、私の住んでいた地域では、おおむね20代から30代前半までの年齢層が中心メンバーであり、30代後半にもなると、結婚と同時に会合に来なくなるというパターンが多かったからだ。

 

私がボードゲームやカードゲームなどの非電源系ゲームにハマっていた頃、複数の非電源ゲームのオタク系社会人サークルを掛け持ちしていた時期があった。

 

この時期、気づいたのは、テニスやハイキングなどの体育会系サークルに比べて、オタク系サークルの年齢層が低く、サークルの寿命も短いということだった。

 

実際、一世代前の社会人サークルに参加したとき、参加メンバーは私を含めてわずか4人ということもあった。

 

あまりの人数の少なさに驚いて、サークルの会長に理由を聞いたところ、

「いやね、うちのサークルも

 全盛期の頃は

 30人〜40人くらいの

 メンバーがいたけどね。

 みんな仕事で忙しくなって

 そのうち来なくなってしまって」

と、申し訳なさそうに答えたものだ。

 

それで仕方なしに、4人でUNOを始めたところ、突然、会長の携帯が鳴り出した。

 

甲高い声で怒鳴りつける上司にひとしきり応対した後、会長は、申し訳なさそうな顔をして、私たちに両手を合わせた。

「すみません。

 急な呼び出しがあって・・・

 これから仕事にいかないと

 いけないんで

 みんなで楽しんでください」

こういって、会長は、唖然とする私たち3人をあとに、足早に去っていったのだ。

 

このサークルの他にも、メンバーの加齢とともに自然消滅していったサークルは多かった。

 

このように、オタク系サークルは、20代〜30代前半までがピークで、それ以降になると、自然消滅するケースが多いのだ。

 

逆に考えると、親しい友達もパートナーも全くいないコミュ障が、一生独身を通そうとしても、アラフォーになった途端、どこにも行き場が無くなる可能性が極めて高いともいえる。

 

よく考えてみてほしい。

 

20代〜30代前半のメンバーが中心のオタク系サークルに、一人だけアラフォーの、しかもコミュ障の人間が気軽に参加しようとしても、正直、厳しいのではないだろうか?

 

これが、一昔前の岡田斗司夫のように、ユーモアのある面白いオッチャンだったら、まったく問題はない。

「この人、年上だけど

 オタク知識が豊富で

 すっごい面白い!」

と、20代の若いメンバーからも大いに受け入れられる可能性が高いからだ。

 

だが、これが、まったく喋らない無口の年上のオッサンの場合だったらどうか?

「なに、この人・・・

 最近の話題が合うか分からないし

 全然しゃべらないから

 なんかやりにくい・・・」

と、思われるのが一般的ではなかろうか。

 

実際、私が所属していたサークルでも、アラフォーで参加するメンバーもいるにはいたが、大抵は一見さんで、二度と来なくなるケースが多かった。

 

私が推察するに、年齢差によるギャップが大きすぎたため、居心地が悪かったのではないだろうか?

【理由2】オタク系ライブも加齢とともに行けなくなる

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ところで、私は、2次元アイドルの初音ミクやアイドルマスター(アイマス)のファンでもあったため、ライブに参加することも多かった。

 

そんなある夏の日、アイドルマスターのライブにおいて、熱中症で多くの中年男性が倒れて運び出される出来事があった。

 

このとき、会場内では、

「いい年したオッサンが

 ライブになんか来るからだよ」

という、辛辣な意見も多く耳にした。

 

実際、ライブは体力がいる。

 

私自身、アイマスのライブには、何度か参加したことがあるが、想像以上に過酷なものだった。

 

というのも、曲ごとに細かい手足の動作やかけ声のタイミングなどのオタ芸が確立されており、また、始終立ったままサイリウムを振り続ける必要があるため、体力面でかなりしんどいのだ。

私が、特に体力の消耗を感じたのは、高槻やよいの「キラメキラリ」だった。

 

声優さんは、曲の最中にこまめに水分をとるように注意していたが、このような過酷なライブで熱中症で倒れる人間がいても、決して不思議ではない。

 

20代でも消耗するオタ芸に、アラフォーが体力面でついていけなくなるのは、むしろ当然ではないだろうか。

【理由3】年をとるほど最新の話題について行けなくなる

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これは人間の宿命ともいえるかもしれないが、一般に、人間というものは、年齢とともに保守的になる傾向があるようだ。

 

そもそも、私のように、

いい年をした中年のオッサンが

「カードキャプターさくら

 クリアカード編」

を楽しみにしている

ほうが、むしろ異常なのかもしれない。

 

実際、私の知り合いでも、2000年代の時点ですでに、

「最近の萌えブームに 

 全然ついていけない」

と嘆くオタクは多かった。

 

その当時、私は

「『ふたりはプリキュア!』が

 ぶっちゃけありえないほど

 面白い!」

と、しきりに周囲のオタク達に推していたのだが、残念ながら理解されないことのほうが多かった。

 

人間というものは、年齢とともに保守的になり、新しい作品を受け入れられなくなっていくのだろう。

 

このように、コミュ障にとって唯一の救いともいえるアニメやゲームなどのオタク趣味は、年とともに入り込めなくなってしまうのだ。

 

その結果、誰とも交流できない孤立したコミュ障の人間が最後に行き着く先は、おおよそ想像がつくだろう。

だからこそ、コミュ障であればこそ、30代前半でまだ社会との接点のあるうちに、自然に会話ができる良きパートナーを見つけて、結婚すべきなのだ!

【結論】コミュ障にとって理想的な結婚とは

さて、コミュ障にとって理想的な結婚とは、どのようなものだろうか?

【ベスト】自然体で会話できる良きパートナーを見つける

これが一番の理想といえるだろう。

「そんな相手が簡単に見つかったら

 そもそも苦労しねーよ!」

と思われるかもしれない。

 

だが、私自身の経験からいえば、正しい戦略を用いれば、このような理想的な相手と出会う確率は、いくらでも高めることは可能だ。

 

実際、私自身、重度のコミュ障だったが、いまの嫁に出会うまでは、

自然体で会話ができる相手が

この世の中に存在するなどとは

想像さえできなかった

のだ!

 

このような理想的なパートナーを見つける具体的な手法については、また、別の記事に譲りたい。

【最悪】会話が続かない・会話が苦痛のパートナーと結婚する

これが最悪のパターンだ。

 

実際、私の知り合いに、コミュ障同士で結婚した夫婦がいる。

 

だが、伝え聞いたところによれば、この夫婦は、結婚後、夫婦間の会話が一切なく、スキンシップも皆無だという。

 

これなどは、コミュ障同士が結婚して失敗した典型的なパターンといえるだろう。

 

このような結婚をするくらいなら、一生独身を通したほうがはるかにマシだ。

 

というわけで、諸君もなるべく30代前半のうちに、自然に会話が続く良きパートナーを見つけ、充実したオタクライフを存分に満喫してほしい!

 

オタクパパより愛を込めて!

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この記事を書いた人

重度のコミュ障のため、友達ゼロのオタク親父。初音ミクと魔法少女をこよなく愛する。

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