宇宙に「始まり」はあるか?天才哲学者カントの衝撃の結論!【宇宙ヤバイ】

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親愛なる読者諸君!

オタクパパだ。

あなたの人生に誕生と臨終があるように、この世の中の全ての出来事には、始まりと終わりがある。

これはまさしく、この宇宙の絶対的な原則であるといってもいいだろう。

しかしながら、あなたは次のような疑問を抱いたことはないだろうか?

この宇宙には「始まり」があるのだろうか?

実は、この宇宙の大問題に、望遠鏡などの装置を一切用いることなく、

頭の中の思考だけで挑んだ天才

がいる。

その男の名は、

イマヌエル・カント

哲学の分野において前代未聞の「コペルニクス的転回」をおこない、

哲学史上最大の偉人

と呼ばれた究極の天才だ。

というわけで、今回は、宇宙の始まりについて、天才哲学者カントの驚くべき考察とその結論を紹介したい。

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本記事の対象者

ここで紹介する解説は、宇宙の始まりについてのカントの考えをデリダ風に「脱構築」しまくって、

小学生でも直観的に理解できるように図解化し、本質を損なうことなく現代流にアレンジして、ざっくり明快に解説したもの

であり、「純粋理性批判」の厳密な内容を忠実に紹介したものではない。

それゆえ、レポートの課題等で「純粋理性批判」の厳密な内容を知りたい方は、直接原典に当たるか、アカデミックな教授が書いた厳密な解説書や論文等を読むことをお勧めする。

天才哲学者カントとは

イマヌエル・カント(1724年〜1804年)は、18世紀に活躍したドイツの哲学者だ。

カントは、ケーニヒスベルク大学の哲学教授として、

「純粋理性批判」

「実践理性批判」

「判断力批判」

という、いわゆる三批判書を著し、当時の哲学界に衝撃を与えた。

カントが登場する以前の哲学界では、経験論と合理論という2つの流れが対立していたが、カントはこれら2つを見事に統一したのだ。

超遅咲きの天才

驚くべきは、カントが三批判書を著したときの年齢で、それぞれ

「純粋理性批判」(57歳)

「実践理性批判」(64歳)

「判断力批判」(66歳)

と、かなりの高齢だ。

カントの名を不動にした歴史的な著作が60近くにもなって著されたというのは、驚異的というほかないだろう。

だが、これは逆に考えると、何十年にもわたってカントが考え抜いて得られた成果が、ようやく50代後半になって花開いたともいえる。

生涯「童貞」を貫いた哲学界最高の天才

余談だが、最近、「はあちゅう」こと伊藤春香氏が、童貞いじりで炎上したのは、記憶に新しい。

それによると、彼女は、

「童貞というのは救う方法のない病気」

とツイートしたそうだ。

セクハラ・パワハラ被害の声を上げたはあちゅうこと伊藤春香氏が、過去の「童貞いじり」発言で炎上。

なぜ、唐突にこんな話題を持ち出したのかというと、実は、カント自身も、その生涯を通じて結婚せず、

一生童貞を貫いた

ことでも知られているからだ。

実際、カントは「結婚しろ!」と周囲から勧められても、

頑として首を縦に降らなかったという。

もっとも、カントは全くモテない喪男だったわけではないそうだ。

実際、カントの研究者によると、カントは2回ほど恋愛し、結婚のチャンスもあったそうだが、結局踏ん切りがつかなかったそうだ。

結婚について、カントは次のような名言を残している。

「結婚で結ばれる男女は、夫の理解力と妻の趣味によって支配される唯一の道徳的人格をつくり出すべきである」

カントが2度も恋愛し、脱童貞のチャンスがあったのにもかかわらず、結婚に踏み切らなかった理由としては、彼は、結婚に対して極めて高い理想を持っていたのではないかとも言われている。

よく、

30歳まで童貞だったら魔法使いになれる

といわれているが、70歳をすぎてもなお、童貞を貫き通したカントの場合、

魔法使いどころか、

哲学界の「神」になれた

といっても過言ではない。

そんなゴッド・オブ・ザ・童貞ともいえるカントは、次のような名言も残している。

「高慢な人は常に心の底では卑劣である」

この言葉を、数多くの高慢なツイートをして炎上した、はあちゅう女史に捧げたい。

宇宙に「始まり」はあるのか?

宇宙の始まりについてのカントの考察

それでは、宇宙の始まりについて、カントはどのように考えていたのだろうか?

カントは「純粋理性批判」において、次のように述べている。

世界は、時間において始まりを持つと仮定しよう。始まりとは、一つの現存在のことであり、事物がそこに存在しない時間が、この現存在に先行するから、世界がそこに存在しなかった時間が、すなわち空虚な時間が、先行していなければならない。しかし空虚な時間においては、およそ事物の生起は、不可能で偽となる。

引用 カント「純粋理性批判」

上の文章を読んだだけでは、カントが何をいっているのか、ピンと来ない人も多いかもしれない。

そこで、ここでは、スマホ世代にも容易に理解できるよう、カントの説明を

現代流にビジュアル化

して紹介する。

現代流にアレンジしたカントの考察

それでは、現代流にアレンジしたカントの考察の超解釈を紹介しよう。

まず、Youtubeやニコニコ動画などの動画の画面をイメージしてもらいたい。

動画の画面の下側には、上の図のように、スクロールバーがついているはずだ。

このスクロールバーの動きがちょうど

「時間」の流れ

に相当する。

ここで、スクロールバーを右側に動かしてみると、動画が未来に進む。

上の図は、スクロールバーを右側に動かして未来に進むにつれ、宇宙がどんどん膨張していくイメージだ。

宇宙が膨張している事実が明らかになったのは、20世紀に入ってからであり、カントが生きていた18世紀には、宇宙が膨張している事実はまだ知られていなかった。

ところで、スクロールバーを逆方向、すなわち左側に動かしたら動画はどうなるだろうか?

スクロールバーを右側に動かしたとき未来に進むということは、スクロールバーを逆方向に動かせば、過去に遡ることは容易に想像できるだろう。

上の図は、スクロールバーを左側に動かして過去に進むと、今度は宇宙がどんどん縮小していくイメージだ。

それでは、スクロールバーをこのまま左端まで動かしたら、どうなるだろうか?

スクロールバーを左側に動かすにつれ、宇宙の部分がどんどん小さくなっていき、やがて宇宙は1つの点にまで縮小するだろう。

これが宇宙初期の大爆発「ビッグバン」の瞬間だ。

それでは、スクロールバーをさらに左に動かして、

ゼロ時間にセットするとどうなるだろうか?

このとき、ビッグバン以前の状態、すなわち、

物質も空間も存在しない、完全な「無」の状態

になるはずだ。

上の図は、スクロールバーを左端まで動かして、ゼロ時間にしたときのイメージだ。

このとき、画面はまっさらになって、

点でさえも存在しない完全な「無」

だ。

カントのいう

世界がそこに存在しなかった時間が、すなわち空虚な時間

とは、ちょうどこのスクロールバーが左端に振り切って、画面がまっさらになった状態のことだ。

もちろん、ビッグバンが始まる前の状態なので、宇宙は片鱗も存在しない。

何かが始まるには、開始のきっかけとなるトリガーが必要

ところで、何かが始まるには、開始のきっかけとなる「トリガー」(引き金)が必要だ。

Youtubeやニコニコ動画などの動画の場合、再生ボタン(三角印のアイコン)を押せば、動画の再生が開始される。

だが、現実の宇宙の始まりにおいては、上のような都合のいいトリガーは存在しない。

実際、「純粋理性批判」において、カントは次のように述べている。

始まりとは、一つの現存在のことであり、事物がそこに存在しない時間が、この現存在に先行する

それゆえ、カントのいう「空虚な時間」とは、まさしく何の事物も存在しない

完全な「無」の状態

に他ならない。

これは、動画にたとえるなら、再生ボタンもなければ、時間の流れを表すスクロールバーも存在しない、超絶不親切設計の動画サイトのようなものだ。

このような再生ボタンもスクロールバーもない動画サイトに出くわしたとき、あなたは当惑するだろう。

「あれ? 

 この動画、どうやって再生するんだよ?

 再生ボタンもスクロールバーもどこにもないじゃん?

 こんな動画、どうやっても始まらないだろ!?

これと同様に、完全な「無」の状態には、

宇宙の始まりのきっかけとなる「トリガー」となる事物が存在しない

ため、宇宙が始まろうとしても、始まりようがないのだ。

それゆえ、カントは「純粋理性批判」において、次のように結論する。

空虚な時間においては、およそ事物の生起は不可能!

このように、宇宙が始まる前の完全な「無」の状態を考えたとき、ビッグバンが起こるためのトリガーが存在しないため、

宇宙は決して始まらない

という結論が導かれるのだ。

これが、「宇宙に始まりがある」と仮定した場合のカントの結論である。

カントの哲学をいまだに超えられない現代宇宙論

ところで、現代宇宙論においては、

宇宙に始まりがある

という考え方が主流になっているようだ。

それによると、ビッグバン以前に「量子ゆらぎ」なる状態が存在しており、この

量子ゆらぎから宇宙が生まれた

という説が、もっともらしく説明されている。

この説は、動画の例でたとえるなら、ちょうど再生ボタンのついた動画の初期画面のようなものだ。

だが、この考えはどこかおかしい。

なぜなら、宇宙の起源を説明するのに、宇宙が生まれる「トリガー」となる存在Xを仮定すれば、

存在Xにも当然「始まり」があるはず

だからだ。

そして、この存在Xは、別に「量子ゆらぎ」に限らず、「ブレーン」であっても「高次元空間」であっても、それこそ何であってもいい。

仮に、そのようなビッグバンのきっかけとなる「量子ゆらぎ」が存在していたとすれば、当然、

「量子ゆらぎ」が生まれる前の時間

が存在していたはずだ。

これをカント流にいうなら、

「量子ゆらぎ」も何がしかの事物である以上、その事物(量子ゆらぎ)も存在していない時間が、宇宙の始まりにあったはず

となる。

なぜなら、「ゆらぎ」というのは、

時空間などの何らかの

「次元が存在している」

ことを前提にしている

からだ。

実際、量子ゆらぎによる無からの宇宙生成論を主張したビレンキンの論文(PHYSICS LETTERS. 4 November 1982. CREATION OF UNIVERSES FROM NOTHING. AlexanderVILENKIN)を読んでみると、

x(空間)やt(時間)といった時空間の変数を当たり前のように使っている

ことがわかる。

これはむしろ当然といえる。

なぜなら、背景となる次元(時空間)の存在がなければ、そもそも「ゆらぎ」現象を定義することができないからだ。

だがここで、小学生も普通にツッコむであろう、新たな疑問が生じる。

「ゆらぎ」の背景となる次元は

どのようにして生まれたのか?

という疑問だ。

そしてこの疑問は、ビレンキンの理論のみならず、ブレーン宇宙論やリサ・ランドール博士の5次元宇宙論などの現代宇宙論が抱えた難問であり、現代宇宙論は、この疑問に対して、何一つとして納得のいく説明を与えることができないのだ。

このように、現代宇宙論の論理は、

小学生でさえもツッコミどころが満載なほど穴だらけ

であり、

最初に次元ありき

の発想から抜け出せないのだ。

それゆえ、現代宇宙論は、完全な「無」からの宇宙の創成をガチで考察した18世紀のカント哲学のレベルを超えるどころか、200年以上経った現在も、依然として

「有」から「有」を生み出す

無限ループ地獄

に陥ったまま抜け出せない泥沼状態にあるといえるだろう。

カント流の仮説の検証方法

ところで、上の考察において、「宇宙に始まりがある」と仮定した場合、「宇宙は決して始まらない」という結論が導かれた。

「宇宙に始まりがある」と仮定する

  ↓

「宇宙は決して始まらない」という結論が導かれる

ここで、次のような疑問を抱く人もいるかもしれない。

「ちょっと待てよ!

 現にわれわれ人類は、膨張しつつある宇宙の中に生まれているではないか?

 これは、矛盾ではないのか?」

もっともな疑問だ。

実は、このような矛盾が生じたのは、もともと

宇宙に始まりがある

と仮定したからだ。

「純粋理性批判」において、カントは、自らの証明に

ある仮説を立てて矛盾が生じたとき、その仮説は間違いである

という論法を用いている。

実は、このような論法は、刑事ドラマや推理小説などでも普通に使われている。

例えば、あなたの家でお金が盗まれたとする。

このとき、Aさんが容疑者にあげられたとしよう。

だが、Aさんのアリバイを詳しく調べてみたところ、お金が盗まれた時刻に、Aさんはあなたの家から100km離れた場所に位置するレストランでBさんと食事をしており、Bさんやお店の人の証言やお店の監視カメラにもその事実を裏付ける証拠が明らかになったとする。

このとき、「Aさんがあなたの家でお金を盗んだ」という仮定は、「Aさんが100km離れたお店でBさんと食事をしていた」という事実と矛盾する。

このような矛盾を回避するには、「Aさんがあなたの家でお金を盗んだ」という仮定そのものが間違っていたと考えるほかないだろう。

この論理の流れをまとめると、次のようになる。

仮定「Aさんがあなたの家でお金を盗んだ」

 ↑ 矛盾

事実「盗難が発生した時刻に100km離れた場所でAさんはBさんと食事していた」

結論:

事実との矛盾を避けるには、「Aさんがあなたの家でお金を盗んだ」という仮定が間違っていたと結論できる

このような証明法を

背理法

という。

背理法はシンプルだが、とても強力な証明法だ。

カントはこの背理法の論法を宇宙の始まりの考察に使っている。

仮定「宇宙に始まりがある」

 ↓ 論理的に導かれる

結論「宇宙は決して始まらない」

 ↑ 矛盾

事実「現実に宇宙は存在する」

結論:

事実との矛盾を避けるには、「宇宙に始まりがある」という仮定が間違っていたと結論できる

このような考察を経て、カントは、

「宇宙に始まりがある」という考えは間違っている

という結論に至ったのだ。

【まとめ】宇宙の起源は人智を超えたところにある

さて、このように

「宇宙に始まりがある」という考えが間違っている

という結論に至ったカントだが、それでは、その逆、すなわち

「宇宙に始まりがない」

は真だろうか?

実は、驚くべきことに、カントによると、

「宇宙に始まりがない」という考えも間違っている

という結論が導かれる。

その証明については、また後の記事に譲りたいが、カントの結論は、

宇宙の起源は人智を超えたところにあるため、人間の理性では決して知ることができない

というものだ。

これは逆にいうと、

人間の理性には限界がある

という衝撃の結論なのだ。

というわけで、諸君も、宇宙を理解する自分自身の理性に限界があることを十分に理解した上で、宇宙を舞台にした「スターウォーズ」シリーズなどの作品を鑑賞し、充実したオタクライフを存分に満喫してほしい!

オタクパパより愛を込めて!

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