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【勝ったら全員処刑】伝説のサッカー試合に勝利した男達の壮絶な最期

投稿日:2019年2月15日 更新日:

親愛なる読者諸君!

オタクパパだ!

 

前回、八百長試合の申し出を拒否し、勝利とひきかえに死を選んだ勇気あるサッカー選手たちの伝説のデスマッチについて紹介した。

【勝ったら全員処刑】驚愕のデスマッチ!伝説のサッカー試合の逸話

親愛なる読者諸君! オタクパパだ!   あなたは、これまでスポーツの試合に命をかけて戦ったことがあるだろうか? 「戦争じゃあるまいし  スポーツごときに  命をかけるわけ  ねーだろ!」 そ ...

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この逸話の最後のほうで、3人の選手が、スタジアムに群衆がなだれ込んだ隙をついて、無事逃げおおせたが、残りの選手たちの運命は過酷なものだった。

 

一人は、逃亡中にナチスの秘密警察ゲシュタポに射殺され、もう一人の選手は、ソ連軍のスパイの嫌疑をかけられて過酷な拷問を受けた後、心臓発作で亡くなった。

 

また、残りの選手たちもゲシュタポに逮捕され、強制収容所に連行された。

 

本記事では、彼ら強制収容所に連行されたFCスタートの選手たちが、その後どのような運命をたどったのかについて紹介したい。

 

なお、本記事は、トラウマになりそうなグロい描写が多い。

 

それゆえ、グロい描写に耐性のある人のみ、読み進めてほしい。

恐怖のサッカー試合に勝利したFCスタートの元選手達の壮絶な末路

ゲシュタポに逮捕されたFCスタートの選手たちは、ウクライナの首都キエフ近郊の峡谷バビ・ヤールのスィレーツィ強制収容所に連行された。

 

スィレーツィ強制収容所には、ユダヤ人や犯罪者、パルチザン、共産主義者、捕虜などが収容されていた。

 

強制収容所の敷地は、1メートル間隔で設置された三重の有刺鉄線に囲まれており、真ん中の有刺鉄線には、高圧電流が流れていた。

強制収容所の有刺鉄線

現役のサッカー選手の鍛え抜かれた強靱な肉体と俊敏さをもってしても、ナチスの強制収容所からの脱出は、ほとんど不可能に思われた。

 

FCスタートのキャプテンで、ゴールキーパーだったニコライ・トルセヴィッチ選手も、強制収容所に連行された一人だった。

 

強制収容所で、トルセヴィッチたちは、否応なくナチスドイツの強制労働に従事させられた。

 

彼らに与えられた仕事は、道路の舗装などの肉体労働だった。

 

1943年1月、スターリングラード攻防戦で、ドイツ第6軍のパウルス元帥と24人の将軍を含む9万6千人ものドイツ兵がソ連軍に降参し、戦況はドイツ軍に不利になった。

捕虜となり強制収容所まで歩かされるドイツ兵たち。落後した兵は容赦なく射殺された。

そのためか、強制収容所内では、ドイツ人看守による虐待がさかんに行われるようになった。

 

囚人たちは、ささいなことで拷問にかけられ、ひどいときには、200回から300回も殴られたという。

 

強制収容所は、まさしくこの世の生き地獄といってもよかった。

 

強制収容所に収容されたFCスタートの元選手たちが、どのような運命をたどったのかについては、さまざまな説がある。

 

生き残った元選手の証言によると、次のような感じだという。

 

ある日、トルセヴィッチ、クズメンコ、クリメンコ3人の元選手たちを含む囚人たちは、キエフ市内の労働にかり出された。

 

キエフ市内のコロレンコ通り33番のゲシュタポビルの中庭を鋪装するのが、その日の彼らの仕事だった。

そのとき、囚人の親戚がたまたまその場を訪れ、彼らが働いているのを見つけた。

 

親戚は、囚人たちが働く場所から、そう遠くないところに食べ物の入った袋を置いた。

 

そのとき、強制収容所の所長であったラドムスキー親衛隊少佐が、鎖につないだシェパード犬を引き連れて中庭にやってきた。

ラドムスキー親衛隊少佐

シェパード犬は、食べ物の臭いをかぎつけると、ラドムスキーの手を離れて一目散に駆け寄り、食べ物が入った袋をひっぱり始めた。

 

元選手たちは、食べ物を奪われまいとして、シェパード犬を追い払おうとした。

 

だが、獰猛なシェパード犬は、低いうなり声をあげると、突然トルセヴィッチたちに襲いかかった。

だが、トルセヴィッチたちは、元サッカー選手だけあって、機敏に対応した。

 

彼は、シェパード犬の攻撃をかわすと、とっさに片手にもっていたシャベルを振り上げて、シェパード犬の頭に力強く打ち付けた。

 

シェパード犬がぐったりして動かなくなる。

 

そのとき、所長のラドムスキーが愛犬を探しにやってきた。

 

口から泡を吹き、白目をむいてピクピクと痙攣する愛犬の無惨な姿を見たラドムスキーは、怒りで顔を真っ赤にした。

 

彼は、犬のそばでスコップを片手に突っ立っていたトルセヴィッチたちを見るや、大声で叫んだ。

「囚人の暴動だ!

 逮捕しろ!」

とたんに、ウクライナ人の警察官が駆け寄ってきて、囚人たちはその場で拘束された。

 

ラドムスキー所長は、軽微な規則違反であっても囚人たちに厳罰を処し、恐怖による支配を与えた暴君のような男だった。

 

彼は独断で囚人たちを銃殺刑や鞭打ち刑にした。

 

それゆえ、親衛隊員の間では、ラドムスキーこそ、

親衛隊でもっとも残虐な男

と、噂されるほどだった。

 

収容所に戻ると、ラドムスキーは、トルセヴィッチ、クズメンコ、クリメンコの3人の元選手たちに、地面に顔をつけた状態で、うつ伏せになるように命じた。

 

親衛隊に銃口を突きつけられた3人の元選手たちは、否応なしに地面にうつ伏せになった。

 

ラドムスキーは、無表情のまま、ホルスターからルガーを取り出す。

 

そして、クズメンコの後頭部にルガーの銃口を向けて、躊躇なく引き金を引いた。

パン!

クズメンコの頭部から灰色の脳漿と血しぶきの混ざった液体が霧のように飛び散る。

 

クズメンコは絶命していた。

 

続いて、ラドムスキーは、まだ白煙が立ち上る銃口を、クリメンコの後頭部に向けて、引き金を引いた。

パン!

クリメンコも、頭から噴水のように真っ赤な血を吹き出して事切れた。

 

そして最後に、ラドムスキーは、キャプテンのトルセヴィッチに銃口を向け、発射した。

パン!

だが、銃弾がそれたのか、トルセヴィッチは致命傷を免れた。

 

トルセヴィッチは、銃弾が奇跡的にそれたことに驚き、自分が本当に生きているのか確認しようと、右の肘をわずかに持ち上げた。

 

安堵の表情を浮かべるトルセヴィッチ。

 

だが、トルセヴィッチがまだ死んでいないことを確認したラドムスキーは、今度は狙いを外さないよう、ルガーの銃口をトルセヴィッチの頭部に力強く押しつけた。

 

熱い銃口を後頭部に押しつけられたトルセヴィッチの顔が恐怖にひきつる。

 

ラドムスキーが口汚く罵った。

「くたばれ!

 死にぞこないの

 スラブの豚め!」

パン!

トルセヴィッチは、さながら壊れた人形のように、ぴくりとも動かなくなった。

 

以上が、3人の選手たちの最期を示す、もっともらしい証言として、とりあげられることが多いエピソードだ。

バビ・ヤール峡谷で処刑された元選手たちの壮絶なエピソード

一方、もっとドラマチックな最期だったという証言もある。

 

この証言によれば、トルセヴィッチ、クズメンコ、クリメンコの3人は、脱獄に失敗した囚人を絞首刑にするように命じられたものの、断固として拒否したために処刑されたという。

 

3人の選手達が具体的に、どのようにして処刑されたのかは、目撃者がいないため、詳細は明らかではない。

 

だが、バビ・ヤール峡谷から奇跡的に生還した被害者の証言やその他の資料を付き合わせると、おおよそ次のような感じであるように思われる。

 

強制収容所では、ラドムスキー所長のもとで、週に2回、囚人たちの大規模な処刑がおこなわれていた。

 

FCスタートの元選手たちも、このときに処刑されたという。

 

1943年2月24日、運命の日。

 

その日、トルセヴィッチ、クズメンコ、クリメンコの3人の選手たちを含む、20人もの囚人が、バビ・ヤール峡谷に連れて行かれた。

 

囚人たちは、いつものように悪態をついていた。

「今日の仕事は

 キエフ市内じゃないのか?

 

 バビ・ヤールに鋪装する

 道路なんてないぜ?」

「ドイツ野郎のことだ。

 

 峡谷にアウトバーン

 をつくるつもり

 じゃねえの?」

「け、熱心なこった

「無駄口を叩くな!」

武装した親衛隊員にせっつかれて、囚人たちは、バビ・ヤール峡谷に到着する。

 

やがて、広い空き地に出た。

囚人たちは、あっけにとられた。

「なんだ、

 空き地じゃねえか?

 

 どこに道路なんて

 あるんだよ?

 

 ここで、オレ達に

 サッカーでもしろって

 いうのか?」

突然、親衛隊が、囚人たちに服をぬぐように命令する。

「服をぬげ!」

囚人たちは、目を見合わせた。

「早くしろ!」

親衛隊員たちは、指定された場所に、上着やズボン、下着などの衣服を置くよう、囚人たちに命じた。

 

だが、2月のウクライナは、身も凍るほどの寒さだった。

「ちょっと待てよ!

 なんで服をぬがないと

 いけないんだよ?」

囚人の一人が抗議する。

 

だが、親衛隊員たちは、手にしていた警棒で、力のかぎりその男を容赦なく殴りつけた。

 

全身あざだらけになり、ぐったりした男がうめき声をあげる。

 

ぐったりした男を、親衛隊員が2人がかりで空き地の奧まで引きずっていく。

パン!

空き地の奥で一発の銃声がこだまし、しばらくして2人の親衛隊員が戻ってきた。

 

親衛隊員の一人の右手の袖を見ると、飛散した赤い血の染みがこびりついている。

 

囚人たちはパニックに陥り、あわてて服を脱いだ。

「服を指定された場所に置け!」

囚人たちは、親衛隊員が指定した場所に、上着やズボン、靴下などを置いていった。

 

食糧不足と重労働で、誰もがあばら骨が浮き出るほどにガリガリにやせ細っていた。

 

全身素っ裸になった囚人たちは、あまりの寒さに震えて縮こまった。

「こっちに来い!」

親衛隊員が顎をしゃくる。

 

親衛隊員は、命令に従わない囚人たちには、犬をけしかけ、容赦なく踏みつけた。

 

トルセヴィッチたちは、親衛隊員に命令されるがままに、空き地の奥へと歩いていった。

 

突然、目の前が開けた。

 

目の前には、目もくらむような谷底が広がっていた。

だが、それ以上に、信じられないような光景を目の当たりにした。

 

何千、何万という屍が、幾重にも折り重なるようにして、バビ・ヤール峡谷の谷底にびっしりと隙間なく積み重なっていたのだ。

「おお、

 なんということだ・・・」

囚人たちは、思わず息をのんだ。

その死体の山は、数ヶ月前の1942年9月29日から30日の2日間にかけて、3万3千771名もの無実のユダヤ人の市民が、ナチスの特別行動隊アインザッツグルッペンによって、バビ・ヤール峡谷で処刑された無残な亡骸だった。

 

長い風雨にさらされたのか、すでに白骨化しているものも多い。

 

そこかしこに、血の臭いと、腐臭がただよっていた。

「うげえええええっ!!」

何人かの囚人が、腐臭に耐えきれずに嘔吐した。

 

トルセヴィッチたち3人の元選手たちも呆然として、その場に立ちつくした。

「これがやつら

 ナチスの本性

 なのか・・・」

その瞬間、トルセヴィッチたちは、自らの運命を悟った。

 

彼らは、ナチスの「罠」に嵌められたのだ。

「まさか・・・

 

 ここが、俺たちの

 処刑場

 なのか・・・!?」

親衛隊員がクズメンコに銃口を突きつけて叫んだ。

「ひざまづけ!」

恐怖におののいたクズメンコが、すがるような目つきで、トルセヴィッチを見つめた。

 

だが、いまのトルセヴィッチは、すがる仲間に何もしてやれなかった。

 

サッカーの試合では、みんなから信頼されたキャプテンであっても、ここでは、一人の無力な囚人にすぎなかった。

 

トルセヴィッチは、おのれの無力さに拳をにぎりしめ、肩をふるわせた。

崖の前にひざまづき、恐怖で顎をガクガクと震わせるクズメンコの首筋に冷たい銃口が突きつけられる。

 

親衛隊員が引き金をひいた。

パン!

硝煙の匂いが立ちこめ、腐臭と混じりあう。

 

クズメンコの屍は、そのままボロきれのように崖下に放り投げられた。

 

つづいて、クリメンコが崖の前にひざまづく。

 

クリメンコは、涙と鼻水で顔をぐちょぐちょにし、幼い子供のように泣いていた。

「いやだ・・・

 死にたくないよ・・・」

パン!

弾丸を受けた衝撃で、クズメンコの身体が、崖下に転げ落ちる。

 

親衛隊員はさながら、食肉処理場で豚や牛を処理するかのように機械的に囚人たちを「処理」していった。

 

一人あたり、きっかり1分の割合で、機械的に処理されていく。

 

何事にも効率を重視するドイツ人らしい仕事ぶりだった。

 

空き地できれいに折りたたまれ、所定の場所に積み重ねられた下着やズボンを思い出し、トルセヴィッチは皮肉の笑みを浮かべた。

ドイツ人という奴は

こういうときも

律儀なんだな・・・

最後に、トルセヴィッチの番が来た。

 

彼もまた、崖の前にひざまづくように命令される。

 

はるか下方にある谷底を見ると、クズメンコとクリメンコのくびれた白い肉塊が、小さく横たわっているのが見えた。

 

首筋に銃口が突き当てられる。

 

トルセヴィッチは、観念して目を閉じた。

「俺の運命も

 もはやここまでか・・・」

トルセヴィッチの心に、つい数ヶ月前、スタジアムの歓声に包まれていた栄光の日々が心に浮かんできた。

 

応援する観客たちの希望に輝いた無数の顔。

ドイツ人に勝利して、仲間の選手たちから胴上げされたあの日。

スタジアム中に満ちあふれた歓声。

トルセヴィッチは、母や父、そして仲間たちとの日々を思い、笑みを浮かべた。

 

おそらくこの瞬間、トルセヴィッチ選手の頭のなかを、生涯のさまざまなシーンが走馬燈のように駆けめぐっていたのかもしれない。

 

トルセヴィッチの目から、とめどなく涙があふれ出る。

涙で目がかすんで、脳裏に浮かんだ最愛の恋人や友達、両親の顔がよく見えない。

 

だが、先ほどまでの恐怖はどこへやら、トルセヴィッチの心は、晴れやかな空のように澄み渡っていた。

 

トルセヴィッチは、背後で拳銃の引き金が引かれる気配を感じた。

「いま、俺たちが

 この場で処刑され

 ようとも・・・」

銃殺の瞬間、トルセヴィッチは、力のかぎり叫んだ。

「俺たちのスポーツは

 けっして

 死なない!

パン!

トルセヴィッチは、首筋に銃弾を撃ち込まれて絶命した。

 

かくして彼は、34歳の短い生涯を閉じた。

 

FCスタートでドイツ人チームに連勝した選手たちは、その他大勢の同胞たちとともに、バビ・ヤールの峡谷で眠りについた。

 

バビ・ヤールの峡谷で犠牲になった人数は、約10万人という。

 

それだけの無実の人々がナチスドイツの犠牲になった。

 

私は、ナチスの暴力にけっして屈することなく、スポーツマンとして正々堂々と戦い、壮絶なる最期を遂げた、彼らの勇気ある行動に敬意を表したい。

 

オタクパパより愛を込めて!

 

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