親愛なる読者諸君!
オタクパパだ!
今回は、前回に引き続き、ヒトラーの予言の検証を行いたい。
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なお、ヒトラーの予言の詳細については、以下の記事で詳しく解説したので、知らない人は読んでみてほしい。
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というわけで、以下、五島勉の著書「1999年以後ーヒトラーだけに見えた恐怖の未来図(ノン・ブック)」(改訂版「ヒトラーの終末予言 側近に語った2039年」)をもとに、検証を続けてみたい。
【検証6】歴史的事実と矛盾するナチスの人間関係の設定
ところで、以前とりあげた格差社会の予言において、ハンス・フランクの証言が登場した。
ハンス・フランク(1900-1946)
出典 Bundesarchiv, Bild 146-1989-011-13 / CC-BY-SA 3.0
「1999年以後」において、ハンス・フランクは、ヒトラーの若い頃からの弁護士で、信任が篤く、東ヨーロッパの占領地域の管理を任されたほどの腕利きのナチ幹部とされている。
だが、そもそもなぜ、ハンス・フランクの証言が明るみになったのだろうか?
五島勉によると、ドイツが連合軍に敗れた後、フランクはヒトラーと親しかった大物の戦犯として、ニュルンベルクの国際軍事法廷(ニュルンベルク裁判)へと引き出され、
親友のおまえならヒトラー最大の秘密を知っているだろう
引用 「1999年以後」五島勉
と検察側に激しく追求され、ついにしゃべってしまったという。
(↓)ニュルンベルク裁判の被告席。ハンス・フランクは前列手前から7番目に見える。
出典 Bundesarchiv, Bild 183-V01057-3 / CC-BY-SA 3.0
以下、「1999年以後」からそのあたりの経緯を引用させてもらう。
独裁者ヒトラーが実は魔性の大予言者だったこと。
また彼が見通した大戦の的確な経過。
あと二一世紀半ばからその先に至る恐るべき予知の数々を。
「ほんとうか、確かか。
いや、原爆もノルマンディーもマジノ線も、確かに当たっている。
とすればこれから当たる確率が大きい。
危険な証言だな。
外へはとても出せない」
裁判長はじめ数人の軍人判事はそう判断し、非公開法廷だったのを幸いに、その場にいた全員にきびしく口止めし、同時にフランク証言の全体を、「連合軍法務最高機密A」に指定した。
(中略)
だが幸いというべきか、そのごく一部はその後漏れた。
きびしく禁じられれば、逆に漏らしたくなるのが人情で、もと法廷タイピストや法廷通訳といった人たちが、フランク証言の一部を思い出して友人などにささやいたのだ。
それを欧米のヒトラー研究家たちが聞き出し、著書の注などに小さく書いたり、ラジオでしゃべったりした。
その内容が長いあいだかかって、私のような異国の予言研究者のところへ少しずつ流れてきた。
そうした断片を繋ぎ合わせ、すでに発表されている他のヒトラー資料で裏を取り、なんとか再現してみたのが右の重大予言というわけなのだ。
引用 「1999年以後」五島勉
五島勉によると、上のような経緯でヒトラーの予言を入手したという。
だが、歴史的事実を詳細に調べてみると、「1999年以後」の記載が事実と反することが分かる。
「1999年以後」では、フランクはヒトラーの信認が篤い大物戦犯であるとされている。
だが、実際のハンス・フランクは、「ヒトラーの信任が篤い」どころか、ヒトラーからは「信用ならない人物」として毛嫌いされていた。
ハンス・フランクは、1934年にバイエルン州でエルンスト・レーム以下突撃隊幹部が逮捕された際(長いナイフの夜)にヒトラーの方針に反対して電話で怒鳴りつけられたのをきっかけに、
ヒトラーの信用を失い
ヒトラーの側近で
固められた権力中枢
グループから外されていた
のだ。
実際、ニュルンベルク裁判において、「ヒトラーとの関係はどうであったか」という質問に対して、フランクは、次のように答えたそうだ。
私はドイツの政策にはまるで発言権を持っていませんでした。
私は生涯を通じて個人的に6回ヒトラーに会見しただけです。
私は政治上の重要問題について相談を受けたことは全くありません。
引用 ニュルンベルク裁判記録
(↓)証言台に座るフランク(1946年4月19日)
また、フランクは、占領下のポーランドの扱いに抗議して14回辞職を申し出たことを証言し、
私が一兵卒として前線へ出ることを14度希望したのは故なきことではありません。
ヒトラーは法律家が嫌いだったのです。
あの真に偉大な人物にとって、これは大きな欠点でした。
彼は法律専門家を徹頭徹尾毛嫌いしていたのです。
引用 ニュルンベルク裁判記録
とも述べていたそうだ。
要するに、フランクは、五島勉のいうように「ヒトラーの信任が篤い」どころか、むしろ
長いナイフの夜において
ヒトラーの方針に
反抗したために
ヒトラーの信用を
失っていた
のだ。
よく考えてみてほしい。
あの疑心暗鬼の塊のような独裁者ヒトラーが、かつて自分の命令に従わずに反抗した信用ならない人物に対し、ノルマンディー上陸作戦のような重大な機密事項を漏らすだろうか?
このように、「1999年以後」において五島が描写したヒトラーとフランクの関係と、実際の彼らの関係とは、あまりにも乖離しており、これからも
ヒトラーの予言が
五島勉の創作
だったことが明らかなのだ。
【検証7】裏付けとなる人物の言葉までも創作
「1999年以後」において、月探査の予言が、ヒトラー研究家、西ドイツのヨアヒム・フェストが記録している言葉とされている。
そのあと、月から戻って来る者もいる。
しかし戻って来ても、その者は、ここがそれ以前のドイツかどうか気づかない。
引用 「1999年以後」五島勉
ところで、上のような衝撃的な予言が本当に、世界的に有名なヒトラー研究家であるヨアヒム・フェストが紹介したヒトラーの予言であるなら、当然、欧米のネットでも盛んにとりあげられているはずだ。
ヨアヒム・フェスト(1926-2006)
出典 – Joachim Fest im Gespräch mit Wolfgang Herles
だが、不思議なことに、ドイツの検索エンジンで、
Joachim Fest Hitler Mond
(ヨアヒムフェスト ヒトラー 月)
などのキーワードで検索しても
該当する予言は
全く出てこない
(↓)上のドイツ語の検索結果を日本語に翻訳した結果
これは一体、どういうことなのだろうか?
このように、五島勉は、
引用元となる
ヒトラー研究家の
言葉でさえも
勝手に創作している
のだ!
【検証8】裏付けとなる資料も捏造
「1999年以後」によると、以前の記事でとりあげた
「永遠の未成年集団」の予言
の根拠となった文章は、ヒトラーのきわめて有能なブレーンの一人であったヘルマン・ラウシュニングが記録した言葉を元にしているという。
ヘルマン・ラウシュニング(1887-1982)
ラウシュニングが書いたのは「ヒトラーとの対話」という本であり、あまりに恐ろしい内容の本だったので、出版されたとたん発禁になってしまったそうだ。
だが、そのうち何百冊かは出回り、わずかだがすぐれた日本語訳(船戸満之氏訳・八幡書店・邦題「永遠なるヒトラー」)の57ページに「未成年者予言」が要約されていると、五島勉は主張している。
だが、実際のところ、欧米の歴史研究家の間では、この「ヒトラーとの対話」は、
ラウシュニング
による完全な捏造
という結論で一致している。
上にあげた「ジャーナル・オブ・ヒストリカル・レビュー」の論文に「ヒトラーとの対話」の真相が詳しく書かれている。
それによると、ラウシュニングの死後3年経って、スイスの歴史家であるヴォルフガング・ヘーネル(Wolfgang Hänel)が、当事者へのインタビューや文献の比較など詳細な調査を行った結果を1983年5月、西ドイツのインゴルシュタット現代史研究センターの年次会議にて発表したそうだ。
ラウシュニングは、「ヒトラーとの対話」は、ヒトラーと100回ほど行ったプライベートな会話の内容に基づくとしたそうだが、へーネルが調査したところによると、ラウシュニングが実際にヒトラーに会ったのは、たったの4,5回ほどだったそうだ。
しかも、その4,5回の対面は、個人的なものではなく、つねに他の高官達と一緒だったという。
そのせいか、アメリカの有名な歴史家であるジョン・トーランドも、ラウシュニングの文章をまったく引用せず、ドイツの歴史学者のヴェルナー・メーザーも、ラウシュニングの文章には
「記録的な価値がない」
と述べている。
このような事情から、「ヒトラーとの対話」が発禁処分になったのも、おそらくその信憑性に疑問がもたれたからだろう。
だが、五島勉は、その事実をむしろ逆用して、
あまりにも恐ろしい
内容だったので
発禁処分になった
と主張することで、「ヒトラーとの対話」が本物ではないかと読者に印象付けることに見事に成功しているのだ!
そういう意味で五島勉は、
詐欺の天才
といえるだろう。
【検証9】三島由紀夫との出会いのエピソードも創作
ここまで検証して、勘のいい読者は、次のことに気づいたかもしれない。
「ちょっと待てよ?
ヒトラーの予言の
証言がみんな創作なら
ひょっとして
冒頭の三島由紀夫との
対談のエピソードも
五島勉の創作
じゃねーの?」
このような疑問が出てくるのも無理はない。
実際、三島由紀夫が五島勉に話したヒトラーの話を他の人間にもしていたとすれば、そのショッキングな内容ゆえに、何らかの形で記録に残されていると考えるのが妥当だろう。
(↓)三島由紀夫(1925-1970)
だが、不思議なことに、
「三島由紀夫 ヒトラー」
というキーワードでどんなに調べてみても、三島由紀夫の戯曲「我が友ヒットラー」に関する話か、五島勉の「1999年以後」に掲載された三島由紀夫との対談のエピソードのいずれか2つしか出てこないのだ!
これからわかる事実として、三島由紀夫は「ヒトラーの予言能力」について、五島勉のみに真相を語り、その他の人間に対しては一切沈黙を通していたことになる。
だが、よく考えてみてほしい。
三島由紀夫は「我が友ヒットラー」という戯曲を通じて、それこそ何十人、何百人もの人間と交流しているのだ。
これほど興味深いヒトラーのエピソードが真実なら、三島由紀夫が戯曲「我が友ヒットラー」を通じて知り合った他の親しい人物を差し置いて、たった2回しか会っていない駆け出しのルポライターにヒトラーの真相を打ち明けるなどということがありうるのだろうか?
ちなみに、五島勉が「1999年以後」を出版したのは1988年、三島由紀夫が1970年に割腹自殺をしてから18年も経った後だ。
「死人に口なし」
という諺が示すように、三島本人が亡くなってしまった以上、どんなに適当な嘘を言っても決してバレることはない。
また、知名度の高い三島由紀夫との対談をとりあげることで、ヒトラーの予言の信憑性が高まるというメリットもある。
そして、上で検討したシュライバー少尉が出会った若きヒトラーのエピソードや、ヒトラー最後のラジオ演説、ハンス・フランクとヒトラーの人間関係、ヨアヒム・フェストの記録などがすべて五島勉の創作であったことを考えると、
三島由紀夫との対談
のエピソード自体が
五島勉の創作
である可能性がきわめて高いといえるだろう。
なぜなら、他のエピソードがすべて創作であるのに、三島由紀夫との対談のエピソードだけが唯一真実であるというのは、あまりにも不自然であり、到底考えにくいからだ。
【検証10】予言と全く関係のない人物を「予言者」に仕立て上げる脅威の五島マジック!
さて、五島勉の一番の特徴は、
予言に関係のない人物を
予言者に仕立て上げる
点だ。
実際、五島勉は、過去の著作においても、
聖徳太子
H.G.ウェルズ
アルバート・アインシュタイン
イソップ
など、予言とはまったく無関係の人物でさえも、予言者に仕立て上げているのだ。
それゆえ、五島勉にとって、本来、予言者でも何でもないヒトラーのような人間を予言者に仕立て上げるくらいは朝飯前のことなのだ!
「現役JK予言者」まで登場させた五島勉
ところで、五島勉は、過去の著作で
現役女子高生予言者
も登場させた黒歴史がある。
実際、1987年刊行の「ノストラダムスの大予言スペシャル・日本編—人類の滅亡を救うのは『日の国』だ(ノン・ブック)」の第2章「東京の妖少女とノストラダムス」には、
未来を予知する能力
をもった超能力少女
が登場する。
それによると、五島勉は、相川真由美という名の当時16歳の高校生の女の子から
「人間が見てはならない
ものを見てしまいました」
という手紙を受け取り、ホテルのロビーで彼女と会って、とんでもない話を聞かされたそうだ。
この予言少女の予知夢によると、
東京で大地震が起こって
壊滅した直後に自衛隊が
軍事クーデターを起こす
という。
しかも、その頃の自衛隊は、かの「空母いぶき」もビックリの
航空母艦まで
保有している
そうだ。
http://www.mod.go.jp/msdf/formal/jmp/201612.html –
あまりにも衝撃の内容に驚かれる人もいるかもしれない。
だが、ちょっと待ってほしい。
この女子高生予言者の内容、よくよく考えてみると、
内容が矛盾だらけ
なのだ。
よく考えてみてほしい。
仮に、東京が壊滅するほどの大地震が起こった直後に、自衛隊がクーデターを起こすなどということが、現実にありえるだろうか?
昨今の自衛隊の災害派遣活動を見てもわかるように、東京が壊滅するほどの大地震が起こったのなら、普通は
地震の被害者の
救助活動が最優先
だ。
実際、自衛隊は、天災地変その他災害に対して人命または財産の保護のため必要があると認められる場合は、都道府県知事等の要請に基づき、防衛大臣またはその指定する者の命令により派遣され、捜索・救助、水防、医療、防疫、給水、人員や物資の輸送など、様々な災害派遣活動を行うこととされている。
特に緊急を要する場合は、要請を待たずに自主的に部隊が派遣されることもある。
なぜか?
これは、
自衛隊法第83条
に定められている自衛隊の行動だからだ。
実際、自衛隊は、2016年の時点で、
32,000回以上の
出動実績がある
のだ。
(↓)水没した被災地で被災者を背負って移動する陸上自衛隊第10師団の隊員 東日本大震災時の亘理町で
ここで、よく考えてみてほしい。
これまで32000回以上も災害救助をしてきた実績のある自衛隊が、大地震が起こった直後に、自衛隊法にそむいて、クーデターなど起こすだろうか?
仮に、この予言少女が予知するように、仮に自衛隊が地震の被災者をまったく救助せずに放置したまま、クーデターを成功させたとしよう。
はたして日本国民は
こんな自分勝手な
クーデター政権を
支持するだろうか?
そんなことがありえないことは、小学生でもわかる理屈だ。
誰が見ても明らかに失敗する可能性の高いクーデターを自衛隊の上層部がわざわざ実行に移すことなど、そもそも現実的にありうるのだろうか?
普通、初めて会った女子高生から、このような小学生でもわかるような矛盾だらけの話を聞けば、おそらく
女の子の
頭がお花畑
か、あるいは、
自分を騙そうと
嘘をついている
のではないかと、良識ある大人なら誰でも内心思うだろう
だが、五島勉はそのような疑いを一切抱くことなく、予言の裏付けもとらず、どういうわけか、この怪しげな予言少女の言葉を完全に鵜呑みにしているのだ!
プロのルポライターをしていた人間にしては、あまりにもお粗末ではないだろうか?
だが、この予言少女は、どういうわけか、その後、五島勉の著作に一度も登場していないのである。
もし、予言少女が本当に優れた予知能力の持ち主なら、定期的にコンタクトをとって、
「あの予言はどうなった?
あの後、もっと詳しい
ことが分かった?」
と、予言少女からアップデートされた予言を聞き出そうとするだろう。
第一、「ノストラダムスの大予言」の印税で石神井に土地を購入し、自宅を建てた予言のプロが、ものすごい予知能力をもった予言少女を放置したまま続編を全く出さないというのは、あまりにもご都合主義というか、どうにも胡散臭いのだ。
ひょっとすると、この予言少女は、
五島勉がネタに
詰まって創作した
架空の少女
というのが、本当の真相ではないだろうか?
要するに、この予言少女は、
マックの女子高生
の予言者バージョンであり、そう考えると、すべてのつじつまが合うのだ。
このように、予言の裏付けとなる実在の人物の証言や、人物関係、裁判記録、ラジオ放送など、予言のソースだけでなく、
予言者さえも
ゼロから創作
してしまう
これこそが、
五島マジック
の恐ろしい点なのだ!
【結論】ヒトラーの予言は、五島勉の「完全な創作」だった!!
以上の検証から、
「ヒトラーの予言」が
五島勉の完全な創作
である疑惑が極めて高い
ことが明らかになった。
ところで、「ヒトラーの予言」の絶妙なところは、
ハイライトとなる
最終イベントが
2039年1月
に設定されているという点にある。
「1999年以後」によると、これはヒトラーが生まれてから150年目ということだが、私は、この年月の設定には、別の意図があるのではないかと考えている。
なぜなら、五島勉氏は、1929年11月生まれであり、
2039年1月には
五島勉が110歳に
なっている
からだ!
だから仮に、2039年の予言が外れて、
「2039年に何も
起こらなかった
じゃないか!」
「五島勉の野郎
オレたちをまんまと
騙しやがって!」
と、あなたが息巻いたとしても、
肝心の予言を広めた本人は
すでにこの世から旅立って
「時効」になっている
可能性がきわめて高い
のだ!
予言というものは、予言日の設定が何よりも重要だ!
なぜなら、肝心の予言日があまりにも遠ければ、実感が湧きにくく、無視される可能性が高い。
逆に、予言日が近すぎても、外れた場合に信用を失い、その後の作家生命を絶たれるおそれがあるため、リスクが高すぎる。
それゆえ、
2039年という
設定は実に絶妙
なのだ!
まさしく、日本全国に「ノストラダムスの大予言」のブームを仕掛けた五島先生だけあって、計算し尽くされた予言日の設定といえるだろう。
後先考えずに安易に直近の予言日を設定して失敗する、どこぞの3流予言者とは、年季が違うのだ!
1999年以後、スピリチュアルが「負け続け」な本当の理由
ところで、ヒトラーの予言を信じていた人の中には、
「ヒトラーの予言が
五島勉の創作なら
結局、どの予言も
全部ウソなのかよ?」
と絶望する人もいるかもしれない。
だが、五島勉の予言が全部創作だったからといって、絶望する必要はない。
東洋の陰陽思想によると、
陰極まれば、無極を経て陽に転化し、陽極まれば、無極を経て陰に転化する。
という陰陽転化の循環律が知られている。
この陰陽転化の循環律が真実を含むことは、次のように考えてみればわかる。
1.上にジャンプするとき、いったん足を下げて沈み込んでから、ジャンプする動作に入る。
2.息を吸うとき、いったん息を吐き出してから、息を吸う動作に入る。
3.弓を飛ばすとき、いったん弦を後ろに大きく引いてから、弓を放つ動作に入る。
4.ボールを投げるとき、いったんボールを持った手を後ろに引いてから、ボールを投げる動作に入る。
これらの事例からも明らかなように、物事が新しいフェーズに入るときは、いったんそのフェーズから大きく離れたような状態になるのだ。
また、マンガやアニメなどの物語においても、異様に面白いストーリーは、たいてい最後のクライマックスに入る前に、主人公をどん底に叩き落とすはずだ。
すなわち、
陽に転ずる前は
必ず陰が極まる
のが、この世の真理なのだ!
これは逆に考えると、
陰が極まらないと
陽が現れない
ということを意味する。
だからこそ、次の新たな精神の時代のステージに入ろうとするなら、いったんスピリチュアル的な要素を徹底的に全否定する必要があるのだ。
実際、1999年以後の流れは、
「予言が全部ウソだった」
という全否定の流れになっているはずだ。
逆に考えると、それだけ「陰が極まる」流れが強くなっているため、「陽に転ずる」すなわち、
次のステージ
への移行が近い
とも考えられるのだ!
だからこそ、私自身、本ブログで五島勉のニセ予言である「ヒトラーの予言」を全否定することにより、「陰を極めて陽に転じる」流れを早める手伝いをしているといえるだろう。
というわけで、五島勉のインチキな予言や金儲け主義の新興宗教などのニセモノを徹底的に全否定することで「陰を極め」、次の新たな精神の時代のステージへの移行をわくわくしながら心待ちにしてほしい!
オタクパパより愛を込めて!
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