親愛なる読者諸君!
オタクパパだ。
突然だが、諸君は
幼女に萌えた
ことはあるだろうか?
実は、
幼女萌え
について、今から1000年以上も前に、かの
清少納言大先生
が下のように語っているのは、キミたちもご存じのことと思う。
萌えるもの
濡れたスイカに映った幼女
呼んだら来るスズメの雛
2,3歳の幼女が走って来る途中に地面のゴミを見つけて、ちっちゃいおててで
「はいっ」
と見せるのモエス
おかっぱの前髪をかき上げないで、首を斜めにして向こうを見ようとしてるのもアホカワイイ
ちっちゃいお坊ちゃんがスーツ着せられて歩いたり、幼女が遊んでいるうちに腕の中でくーくー寝るのもスゲェ萌える
しがみついてんだぜコンチクショー
まぁ、ままごとの道具や水草の葉っぱとか、小さいものはみんなかわいいといえるな
二歳くらいの子供が服の裾を引きずって部屋から出てくるのはタマラン
袖が長すぎて指先だけちょっと出ているってのもピンポイント萌え
10歳前後の男の子が、学校の授業で教科書読んでるのもけっこう萌えるシチュエーションだな
人間以外で言えば、ヒヨコがぴよぴよと人の前や後ろに立ってついてきたり、親ニワトリにくっついて歩くのは実にホホエマシス
あと、カルガモの卵とか、ガラスの小瓶とか
引用「清少納言 ‐ アンサイクロペディア」
一部、ショタ(少年)萌えやケモノ萌え、器物萌えも混じっているが、1000年経った今でも、
現代のオタク紳士・
淑女たちの心に響く
実に味わい深い名文
といえるだろう。
やっぱ幼女は
最高だぜ!!
「おまわりさん
コイツです!!」
だが、私はどちらかといえば、清少納言大先生のように3次元の幼女に萌えるより、むしろ
2次元の幼女に
なりたい!!
と、脳内で激しく妄想するほうだ(←おい)。
実は、このような
2次元を愛でる
オタク紳士の妄想
を具現化した素晴らしい作品がある!
それが
「幼女戦記」
だ!
というわけで、今回は、
幼女の帝国軍人が
ゲス顔で過酷な
戦争を戦いぬく
衝撃No.1の神作品
幼女戦記
を紹介したい。
【2020/1/23 追記】
幼女戦記とは?
「幼女戦記」は、カルロ・ゼンによるライトノベルであり、2011年から小説投稿サイト「Arcadia」にて連載されていたオンライン小説だ。
また、2013年からエンターブレイン(KADOKAWA)から全11巻発売されており、サウンドドラマや漫画、アニメなどメディアミックス展開をして、なんと
400万部もの
発行部数を突破した
大ベストセラー
だ。
だが、「幼女戦記」は、単なる萌え作品ではなく、軍オタや歴史ゲーオタからも高い評価を受けている珍しい作品だ。
というわけで、以下、オタクならではの視点で、幼女戦記の魅力について余すところなく語ってみたい。
「見た目は幼女!でも中身はオッサン」の可愛いエグい主人公ターニャ
上の金髪碧眼の超キュートな幼女が、幼女戦記の主人公である帝国軍航空魔導師士官の
ターニャ・フォン・
デグレチャフ
だ!
ターニャは外見こそ可愛らしい幼女だが、実は、
中身は立派な
オッサン
だ。
だが、「幼女戦記」は
オッサン思考の
幼女が戦う物語
というコンセプトの作品ではない。
文字通り、
オッサンが
幼女に転生して
戦いまくる物語
なのだ!
というのも、ターニャには、前世の記憶があり、もともとは
日本人のオッサン・
サラリーマンが
転生した姿
なのだ!
(↓)主人公のターニャ・デグレチャフは、見た目の金髪碧眼の超キュートな幼女だが、中身はゲスな思考をもつ元社畜のオッサンだ。
引用 「幼女戦記」(東篠チカ、カルロ・ゼン)
ところで、某名探偵少年アニメにおいて、
「見た目は子供、
頭脳は大人」
というキャッチフレーズが有名だが、この「幼女戦記」の場合、
「見た目は幼女、
中身はオッサン」
というキャッチフレーズがしっくり来るかもしれない。
なぜなら、ターニャの場合、頭脳や知識だけでなく、思考形式や人生観まで、
外見を除く
あらゆる要素が
徹底したオッサン
だからだ。
しかも、ターニャの前世は、職務に忠実かつ上昇志向にあふれたエリート・サラリーマンであり、元同僚でさえも、不要になれば平気でリストラするという
冷徹な合理主義者
だ。
それゆえ、ターニャは、見た目こそ可愛らしい幼女だが、その考え方や行動が合理主義を信奉するガチガチのオッサン・リーマンのものであるゆえに、そのギャップに思わず爆笑してしまうのだ。
合理的精神で「神」にあらがうメンタル・マッチョな幼女の物語
「幼女戦記」の一番の魅力はストーリーだ。
ターニャの前世としてのオッサン主人公は、日本の企業において、エリート・サラリーマンとして順風満帆な人生を送っていたが、その徹底した合理的思考による冷徹さゆえに、同僚に逆恨みされて命取りとなる。
しかしながら、神の存在さえ認めようとしないガチガチの合理主義者である主人公を改心させようと、主人公の死の瞬間に存在X(神)が現れ、シド星ともいえるパラレルワールドへと生まれ変わらせる。
存在Xによって冷徹なサラリーマンから転生させられた主人公は、なんと孤児院において、女の赤ちゃんから絶望の来世生活を再スタートさせるのだ。
バリバリのエリート管理職から、20世紀初頭の欧州風のパラレルワールドの孤児院で無力な幼女として、人生の再スタートを切る。
これが日曜の朝の子供向けのアニメなら、さながら小公女セーラや明日のナージャのような過酷な運命が待っているだろう。
そう、その展開こそが、ターニャを転生させた存在Xの真の狙いなのだ!
すなわち、存在Xの計画は、ターニャに数々の試練を与え、とことん絶望の底に打ちのめすことで、絶望的な運命に懲りたターニャが改心して、神の慈悲と救いを求める善良な人物になるように仕向けることだ。
そして、数々の苦難を乗り越えたターニャが、最後にはステキな王子様に出会って、
「ありがとう! 神様!
わたし、いま
幸せいっぱいです!
これもみんな、
存在Xである
神様のおかげです!
(キラキラの瞳)」
という、いかにも予定調和的なハッピーエンドを迎えて終わるというシナリオだ。
正直なところ、「幼女戦記」のストーリーがこのような幼女向けアニメのようなストーリー展開なら、ありきたりな展開に退屈した子供達がチャンネルを変え、視聴率が下がりまくってスポンサーも降り、最後は、打ち切りのような中途半端なエンディングで終わるのは想像にかたくないだろう。
だが、徹底した合理主義者のターニャは、そんな
打ち切り寸前の
名作劇場の
主人公レベルで
終わるような
タマではなかった!
な、なんだってーーーっ!!
ターニャは、神ともいえる存在Xによって周到に張り巡らされた予定調和の罠を回避すべく、持ち前の合理的精神を駆使して、つねに
存在Xの予想の
斜め上を行く
ことにより、自らを待ち受ける過酷な運命に徹底的にあらがいぬくのだ。
そういう意味でまさしく、幼女戦記は、
合理的精神で
「神」に抗う
メンタルマッチョな
幼女の物語
ともいえるのだ!
そして、このストーリー展開が、ありきたりなマンネリズムを見事に打破し、幼女戦記をかつてないほど斬新かつ魅力的な作品へと昇華させているのだ。
大戦期の欧州に似たパラレルワールドが舞台
「幼女戦記」のもう一つの魅力は、
大戦期の欧州に似た
パラレルワールド
が舞台
という点だ。
ターニャが生まれ変わった世界は、20世紀初頭のヨーロッパに似ており、また、ターニャが生まれ育った帝国は、戦前のドイツに似ているが、周辺諸国と泥沼のような戦争を続け、数年後には世界大戦に突入しそうな状況にある。
帝国は経済的には低迷しているものの、周辺諸国との多方面にわたる戦争による慢性的な人材不足と、徹底した能力主義ゆえに、才能があれば、幼女でさえも軍人として採用する国だ。
(↓)「幼女戦記」は、そのタイトルとは裏腹に、ガチでハードな戦闘シーンも多く、大変見応えのある作品だ。幼女が主人公の作品で、砲爆撃の恐怖を感じることのできる作品は希有な存在といえるだろう。
引用 「幼女戦記」(東篠チカ、カルロ・ゼン)
また、ターニャの世界は、パラレルワールドだけあって、我々の世界と完全に同じではなく、微妙に異なる点も多い。
一番の違いは、
魔術が存在する
点だ。
「幼女戦記」において、魔術の原理は科学的に解明されており、軍事や医学の世界でも活用されていることから、純然たるファンタジー世界というわけでもない。
また、魔術を使用することができる者は「魔導師」と呼ばれており、ターニャは、幼少の頃からと天才的な魔導師しての才能を発揮する。
ターニャは、優秀な魔導師がいずれ帝国軍に徴募されることを知り、どうせ軍属になるのであれば、自ら志願して軍学校に入学して、士官となる道を選択したほうが得策だと考える。
なぜなら、帝国軍において出世しまくることで、将来、一市民としてではなく、高級将校として後方での安全な生活を手に入れることができるからだ。
それゆえ、「幼女戦記」は、大戦間近のきな臭い世界において、
幼女が偏見や
身体的不利をはねのけ
持ち前の頭脳と度胸で
大人の帝国軍人達と
ガチで渡り合う
点も魅力的なのだ。
(↓)大人の帝国軍人達とガチで渡り合う幼女ターニャ。外見こそ幼女だが、完全に大人の軍人同士の会話となっている。また、後方で安全な生活を送りたいと願うターニャの本心と、ターニャが愛国心にあふれる兵士であると勘違いしたバリバリの軍人思考の上官達との会話が妙にかみ合っている点も「幼女戦記」の面白い側面だ。なお、下のコマには描かれていないが、背の届かないターニャは、椅子の上に立って会話している。だが、幼女という要素に媚びないハードな展開は、いわゆる「萌え作品」とは一線を画する出来といえるだろう。
引用 「幼女戦記」(東篠チカ、カルロ・ゼン)
このように、大戦間近のパラレルワールドにおいて、
合理的思考を持った
幼女が軍の組織で
どこまでやれるか?
という、さながらニコニコ動画の架空戦記シリーズ的なシミュレーション要素も「幼女戦記」の大きな魅力といえるだろう。
それゆえ、「幼女戦記」は、鑑賞後になぜか、HOI4などの歴史シミュレーションゲームを無性にプレイしたくなる不思議な作品でもある。
ターニャの思考のルーツ「シカゴ学派」とは
アニメ版「幼女戦記」で主人公が読んでいた本の題名が「選択の自由」だ。
「選択の自由」は、20世紀を代表する経済学者にしてノーベル賞受賞者のミルトン・フリードマンの著書だ。
ミルトン・フリードマン(1912-2006)
フリードマンは、シカゴ大学経済大学で活躍した
シカゴ学派
に属する。
ミルトン・フリードマンの思想の根幹にあるのは、徹底した市場原理至上主義(新自由主義)と通貨管理の重要性(マネタリズム)であり、かつてイギリスのサッチャー首相やアメリカのレーガン大統領の政策、そして小泉元首相以後の日本の経済政策にも大きな影響を与えたとされている。
新自由主義をひと言でいえば、政府の役割を徹底的に縮小し(小さな政府)、選択の自由と競争原理により、よりよい社会を作るべきだという思想だ。
すなわち、ダーウィンの進化論が示すように、自由な競争により市場の過酷な「自然淘汰」で生き残った企業こそが「適者生存」の最たるものであり、よりよい社会を作るに不可欠な絶対原則なのだ。
もう1つのマネタリズムは、公共事業等や社会保障、最低賃金等による政府の経済への介入を否定し、政府は市場に出回る金の供給量だけ管理すればいい、という思想だ。
要するに、政府の経済政策は、金の量のコントロールのみにとどめ、それ以外は全て、市場の自由に任せるべきだという考え方だ。
このフリードマンの経済思想を多くの国が採用した結果、
徹底した格差社会
が生まれた。
ある人間が正社員にならず、派遣社員になって社会の負け組になったとしても、それは競争社会における自由な選択の結果であり、貧困は自己責任なのだ。
これこそ、現代の資本主義の権化ともいえる元エリート・サラリーマンたる
ターニャの
思考のルーツ
であるといえるだろう。
ちなみに、「幼女戦記」の原作者であるカルロ・ゼン氏は、
「サラリーマンが幼女に転生」
という斬新なアイデアが生まれた理由について、
「シカゴ学派の合理主義的な考え方を人間に適応したらどうなるか?」
という疑問がルーツになったと述べている。
以下、カルロ・ゼン氏のインタビューから一部抜粋してみよう。
カルロ:
ここからは極端な解釈で、正確な定義は大学の先生方に確認していただけると幸いなのですが、彼らは完全に計算と数字の世界の住人なんです。すべてをミクロ経済学で判断しようとする。
サンデル教授の有名なたとえ話に出てくる路面電車の話があるじゃないですか。
自分が運転手だとして5人を轢くか1人を轢くかという究極の選択の話です。
標準的な功利主義的では5人を轢くより1人となるかも知れませんが、シカゴ学派の発想だと総コストで判断する。
ある5人の生産性より、1人の生産性の方が高ければ、5人を轢いてしまえと。
ここまでラディカルなケースは稀ではあるんですが、根本的に道徳や善悪には個人差があるので、ひとつの公平かつ客観的なものさしとして数字を使おう、というのがシカゴ学派のスタンスなんです。
彼らにとってすれば、感情もコストにカウントして計算できると考えるんですね。
繰り返しになりますが、ここでは非常に簡略化して話していますので参考程度にしてください。
――とても分かりやすいです。
ターニャの行動原理はここにあるということですね。
カルロ:
シカゴ学派の信徒で、この原理に当てはめて行動しています、というところがはじまりですね。
このように、人間の感情でさえもコストにカウントして計算するという
徹底した合理主義
こそがターニャの思想の根底にあるのだ。
だから、ターニャが部下のためになるような行動をとったとしても、その行動は、けっして彼女が部下思いの優しい性格なわけではなく、あくまで自らのキャリアのために計算しつくしたた結果なのだ。
それゆえ、
幼女の皮を
かぶった化け物
というエーリッヒ・フォン・レルゲンのターニャに対する評価は、まさしく言い得て妙であるといえるだろう。
ターニャのゲス顔が堪能できるブラックEDテーマ
最後に、エンディングテーマ「Los! Los! Los!」は、ブラックな歌詞が素晴らしすぎるので、ぜひ聴いてほしい。
元エリート・サラリーマンのターニャにとって、どこまでも職務に忠実であるべき軍という組織は、ブラック企業の思想に通じるものがあり、親和性があるのだろう。
最近、ブラック企業という言葉がよく叫ばれているが、
20世紀初頭の
軍組織こそが
究極のブラック
だったということがよくわかる歌詞だ。
しかも、ターニャを演じている声優は、なんと「魔法少女まどか☆マギカ」の主人公まどかの悠木碧(ゆうき あおい)だ!
まどか☆マギカでは、慈悲にあふれる神の役まで演じた悠木碧が、神を罵りまくるターニャのゲス声を演じきる姿は、ある意味、衝撃的といえるだろう。
また、このエンディングテーマは、
ターニャのゲス顔集
としても楽しむことができる。
もちろん、
ドイツの名銃
ルガーをもった
軍服姿の幼女
は一見の価値ありだ。
【まとめ】「幼女戦記」は全世界で唯一、日本だけが作れる作品だ!
最後に、「幼女戦記」という作品の凄さをひと言でいえば、
全世界で唯一
日本でしか作る
ことが出来ない
ブッ飛んだ作品
といえるだろう。
実際、
社畜のおっさんが
幼女に転生して
戦争しまくる
などという発想が、日本以外のどこの国から出てくるのだろうか?
最近、中国のアニメがめざましい進化を遂げて話題になっているが、どんなに潤沢な資金を投入して人海戦術でハイクオリティの作品を手がけたとしても、彼ら中国人にこのような作品を生み出すことは、おそらく不可能だろう。
また、アメリカ人やヨーロッパ人も、このようなブッ飛んだ発想は、生まれないのではないだろうか?
ひょっとすると、アメリカの孤高のひきこもり作家、
ヘンリー・ダーガー
(*注1)なら、「幼女戦記」の発想に到達しえたかもしれない。
(*注1)ヘンリー・ダーガー
ヘンリー・ダーガーは、19歳頃から約60年間もの長きにわたって、誰にも知られることなく、作品「非現実の王国で」を書き続けたアメリカのぼっち作家である。
中二病の集大成
とも言える作品が「非現実の王国で」だ。
正式なタイトルは『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコ・アンジェリニアン戦争の嵐の物語』である。
世界一長い長編小説
として知られている。
物語の内容は、『グランデリニア』とよばれる、子供奴隷制を持つ軍事国家と、『アビエニア』とよばれるカトリック国家との戦争において、
7人の戦闘少女
ヴィヴィアン・
ガールズの
戦いの物語
だ。
今から100年以上も前に、ガルパンの元祖ともいえる戦闘少女達の物語
を生み出したのは、さすがはアウトサイダー・アートの巨匠にして、天才ひきこもりぼっち作家といえるだろう。また、将来AIのテクノロジーが高度に発達して、「幼女戦記」以前に執筆された全世界の作品を収集・分析し尽くしたとしても、AIが「幼女戦記」のような作品を生み出すことは決してできないだろう。
AIでさえも
予測不可能な作品
これこそが「幼女戦記」の凄さなのだ!
というわけで、世界に類を見ない素晴らしい原作を生み出したカルロ・ゼン氏に感謝しようではないか!
それでは、諸君!
究極の幼女作品
を生み出した
カルロ・ゼン
閣下に敬礼っ!!
というわけで、現在、社畜として日々働いている諸君も、転生したらターニャのようなキュートな帝国幼女軍人になって全世界の戦場で活躍する日々を妄想しつつ、充実したオタクライフを存分に満喫してほしい!
オタクパパより愛を込めて!
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